平城遷都1300年祭の開かれている奈良の平城宮跡を訪れました。 大和の山々を背に1q四方の敷地に朱色も鮮やかな、朱雀門、第一次大極殿、東院庭園などが、風になびく木々や草原の中に点在し、その地に立つと「あをによし奈良の都に咲く花の にほうがごとく今盛りなり」と詠んだ天平人の栄華が蘇ります。 和同3年(710)から桓武天皇が長岡京に遷都する延暦3年(784)までの74年間(途中の中断はありますが)政治、文化の中心として栄え、天平衣装の貴族、役人が、この地を往来したかと思うと1300年の時を越えて、奈良時代や万葉の時代に思いを馳せて何かワクワクしてしまいます。 朱雀門の真北800mにそびえる復元された第一次大極殿は、平城宮最大の建物で、天皇の即位式や外国使節の謁見等、国の重要な儀式に使われていて、天皇の玉座も復元されていました。 この場所から天皇が南庭に整列した家臣に謁見したのかと思いながら、南庭とはるか向こうの朱雀門を見降ろすと、少し偉くなった気分に・・・ 唐の都、長安を模倣したと言われるこの都では、律令制が整うにつれて、国の富は中央に集められ、皇族、貴族は華やかな生活を送り、遣唐使などからもたらされた唐の中国風、仏教風の文化を積極的に受け入れ、天平文化の華を咲かせたそうです。 |
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平城宮跡 会場図 |
それを象徴するかの様に東隅に再現された東院庭園。 東西80m南北100mの敷地の中に池と建物があり、ここで貴族達が曲水の宴を催し、舞楽が披露されていたのです。 華やかさの陰では藤原氏による権力闘争が繰り広げられていた筈ですが、その中で抹殺された人達が、生い茂る草場や、遺跡の礎に影を落としている様な気がする平城宮跡でした。 記:K,T |
大極殿から朱雀門を望む |
第一次大極殿 | 天皇玉座 | 東院庭園 | >