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VG槻輪
令和6年5月 活動予定

5月「わがまち紹介」
古墳時代から発展してきた
高槻の歴史の宝庫の"まち"
宮田・氷室・郡家新町(今城塚)

月    日 2024年5月16日(木)
集合場所 JR富田駅改札出口 集合
内容 歴史の宝庫の"まち"散策と「いましろ大王の杜」見学
その他 1)小雨決行、中止の場合は前日に連絡網で連絡します
2)一般参加者は会員を通じて申し込んで下さい

巡礼橋

巡礼橋のバス停と巡礼橋

 高槻市の西国街道沿いの巡礼橋はどこへの巡礼なのでしょうか。
 西国街道の巡礼橋ですが、西国街道の真横です。
 茨木市にも同じ名前の巡礼橋が2か所あるのですが、これらは総持寺への参拝の経路の西国街道にあるようです。
 しかしこの高槻の巡礼橋は西国街道にかかっていません。
西国街道から富田に行く昔の女瀬川(氷室川)にかかっています。
このまま西国街道を通れば茨木市のイオンタウンを作っている太田(おおだ)に向かう方が近いように思います。
 江戸時代、東の西国第二十番札所の善峯寺北の亀岡市の西国第二十一番札所の穴(あな)太寺(おじ)との重要な交差点で、さらに巡礼者はこの橋を渡って富田経由で西国第二十二番札所の総持寺に行ったようです。

富田町1丁目の山家道の道標


 富田にも多くの参拝できる場所もありますのでここはにぎわったと思われます。
 高槻市富田町1丁目には、「高槻まちかで遺産H29-4」の山家道の道標が有ります。
これは、西国街道の巡礼橋から富田経由して西に総持寺、南に富田・三島江、東に(茨木市)、北行は能勢妙見山(能勢町)、東行は吉峯寺(京都市西京区)を案内しています。
 巡礼橋は、交通の要所であったことを意味します。
春日神社(宮田町)

春日神社(宮田町)

 春日神社は字弓場の前にあり、武甕槌命、経津主命、天児屋根命を祀られています。
 由緒は、詳かならいけれども棟木に「仁和元年9月4日奉勤請」と記載があり、同年の勧請らしい。
 明治5年村社に列せらています。
 境内は、706坪を有し、本殿・拝殿などが在ります。
末社に大将軍社があります。
 氏地は、本社一圓にして祭日は10月14日です。
 300年ほどの歴史があります。
西池の売却で昭和55年に寄付に頼らず氏子一同で再建したそうです。
その再建は日本最古の会社である宮大工の「金剛組」が設計施工とのこと。
住宅街にありますが境内はまあまあ広く静かで、高槻の古木に指定されているヒノキの大木が茂っています。
この周辺はまた鎌倉時代の農村集落跡の宮田遺跡とされています。
阿武山古墳にも近く藤原氏の祖中臣鎌足に関係があるのかも知れません。
宮田遺跡

宮田遺跡春日神社説明版

 女瀬川の自然堤防上に旧流路に沿って、平安時代後期から鎌倉時代に営まれた農村で、春日神社の東側に条理に沿った屋敷地がみつかっています。
溝と垣根で囲まれた約20メートル四方の屋敷地が東西にいくつも並び、その南側は水田となっていました。
屋敷地には主屋など数棟の建物と井戸が中庭を囲むように配置され、一族の安定と繁栄を願って敷地の東北に守り神として屋敷墓をそなえたものもありました。
 当時の暮らしをしのばせる容器や下駄など、さまざまな木製品のほか、瓦器椀などの日用雑器や中国製陶磁器・日本製陶器類などが多数出土し、中世社会の商品流通を知るうえでも、重要な遺跡です。
 東西にいくくちか並んで、ひとつの村を形成していました。
中世の農村のなりたちや暮らしが具体的に復元される貴重な集落遺跡です。

氷室

氷室神社

 日本書紀の仁徳天皇62年のところに、次のような話があります。
 この年、天皇の異母兄の額田大中彦皇子が、闘鶏というところに狩り出掛けたとき、山の上から遠くを眺めると何か一つ見えます。
使者を遣わして見させますと、「あれは窟です」と報告しました。
そこで土地の村長である方に聞かれます。
「その野原の中にあるのは、なにを入れた室か」と。
大山主は謹んで「氷室でございます」と答えますと、さらに、皇子は「それはどういう具合に収めてあるのだ? また一体何に使うのだ?」大山主は説明します。
「土を一丈(3m)以上掘り下げます。
その上から草で覆いをいたします。
下には厚く茅(ちかや)や荻(すすき)を敷いてその上に氷を置くのでございます。
そうすると夏になっても溶けて消えることがございません。
・・・・・」  闘鶏(つげ)野(の)神社(じんじゃ)は、氷室地区の氏神神社です。
闘鶏を「ツゲ」と読むのは鶏鳴が神託を「告げる」ことに由来するといわれ、北面の丘陵には闘鶏山(つげやま)古墳(こふん)があり、4世紀前半の三島の王墓と考えられています。
今城塚古墳

今城塚古墳

 「いましろ大王の杜」は今城塚古墳公園と今城塚古代歴史館とをあわせた市民公園です。
そのシンボル・今城塚古墳は淀川流域最大級の前方後円墳で、墳丘だけで全長181mあり、その周囲の二重の濠を合わせると総長約350m、総幅約340mもの規模を誇ります。
この古墳は6世紀前半につくられた継体天皇(聖徳太子の曾祖父)の墓だといわれていますが、現在は全国でも珍しい古墳公園となり、高槻の人気スポットのひとつになりました。
天皇陵(大王墓)でありながら古墳の中を自由に歩きまわれる公園は"日本でここだけ"。
木立に覆われた墳丘にも入ることができ、まわりの芝生広場や堤では、いつも誰かが散歩をしたり、スポーツをしたり、ピクニックをしたり。
ゆったり過ごすに"ちょうどいい"憩いの場、遊び場として親しまれています。
今城塚古代歴史館

今城塚古代歴史館

 今城塚古墳が2004年(平成16年)から史跡公園として整備され、10年にわたる発掘の成果や古墳時代の歴史を学び、歴史文化の体験学習もできる、古代体験ミュージアムとして2011年(平成23年)4月に開館した。
古墳公園と歴史館の2つを総称して「高槻市立いましろ大王の杜(だいおうのもり)」と名付けられた。
 復元された大王石棺や同じく復元された大王(継体天皇)甲冑など貴重な展示が見られる。
 施設として、玄関ホール・常設展示室・企画展示室・体験学習室・映像研修室・はにたん観光情報コーナーなどが在ります。
 年3,4回の企画展では外部講師による講座、また、発掘調査に携わる学芸員による学芸員講座が定期的に実施されています。
知的好奇心がすくすく育つ学びスポット! 今城恁テ墳の発掘調査で見つかった埴輪や出土品を展示する古代体感型ミュージアム。
実物大のジオラマや映像による古墳づくりの解説をはじめとするさまざまな展示で、古墳時代の文化について深く知ることができます。

郡家すこやかテラス

 本物の埴輪は、武人や巫女、力士、動物など、さまざまな形があって、子どもの興味をそそります。
定期的に開催される埴輪と勾玉作りのワークショップは子どもに大人気なので要チェックです。
隣接する今城恁テ墳公園は実際に古墳に立ち入ることができ、実物を忠実に再現したレプリカによる埴輪群像も見られます。
※今城塚古代歴史館は、「槻木学園」があり、VG槻輪は、平成18年7月から「つきのき学園」の園芸指導をしていました。
郡家すこやかテラス(老人福祉センター)
 高槻市内に住んでいる60歳以上の人が、健康で明るい生活を営まれるように、各種の相談をはじめ、健康増進、教養の向上、レクリエーションのための事業を行い、広く市民と高齢者との親睦の場、憩いの場として設置されています。
 高槻市シニアクラブ連合会の事務所も、この館内に在ります。

今城塚公民館

今城塚公民館
 市民が学習やコミュニティ活動を通して、生きがいや、明るいまちづくりなどを進めていくための社会教育施設です。
さまざまな講座・教室を開催するとともに、集会室や和室・料理実習室などの活動の場を提供しています。
また、図書室(コーナー)には、子ども向けの本をそろえ、貸し出しも行っています。
 高槻市には下記の公民館があります。
○城内公民館、○富田公民館、○如是公民館、○南大冠公民館、
○阿武山公民館、○如是公民館、○北清水公民館、○芥川公民館、
○磐手公民館、○日吉台公民館、○真上公民館、○三箇牧公民館、
○今城塚公民館

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