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VG槻輪
令和5年6月 活動予定

6月「わがまち紹介」
旧石器時代から豊かな食材を提供してきた"まち":寝屋川
萱島神社参拝と友呂岐緑地ウォーキング・散策

月    日 2023年6月15日(木)
集合場所 京阪電鉄萱島駅 西改札出口 集合
内容 萱島神社参拝と友呂岐緑地ウォーキング・散策
その他 1)雨天等で中止の場合は前日に連絡網で連絡します
2)一般参加者は会員を通じて申し込んで下さい
3) ウォーキングスタイルで水筒持参でお願いします。

寝屋川市

寝屋川市の花「バラ」

 寝屋(ねや)の地名は、星田牧の従事者の宿泊所が存在したことによるとも、東高野街道の旅人の布施屋の設備が存在したことによるともいう。東部に「御伽草子」の「鉢かづき姫」の舞台となった寝屋長者屋敷跡と伝えるところがある。
寝屋川市は、寝屋川という河川名に由来する。
「寝屋」は集落名です。
「ネ(川岸)」+「ヤ(湿地)」で、川沿いの湿地のこととおもわれます。
市域の中心部を流れる寝屋川を市の名称にしているように、 この土地に住む人々と「水」がどのようにして調和のある共生を実現するのか、 という課題に取り組んできた生いたちがあります。
 市域の丘陵部には旧石器時代の遺跡が点在し、縄文時代から弥生時代にかけて市域南部に広がっていた河内湾は、 人々に豊かな食料を供給するとともに、いろいろな文化や技術が伝わるルートにもなっていました。
萱島神社(かやしまじんじゃ)

萱島神社

鎮座地:大阪府寝屋川市萱島本町21-5  萱島という地名は、茅や葦といった植物が育っていた寝屋川の中州から来ている。
江戸時代に開拓され、作物を作っていたことから「萱島流作新田」と呼称されたが、1910年に「萱島流作」と改名された。
もともと1軒も家がなく、付近の村々から耕作に来ていたが、次第に人が移り住むようになっていった。
また、駅建設時には「(萱島)駅が出来ると、若い衆が町に遊びに行くようになる」という理由で駅の所在地について村同士のなすり合いになった結果、川の真上に駅を作ったというエピソードがあるようです。
 京阪本線「萱島駅」構内には樹齢700年と推定される大きな楠があります。
3・4番線ホームと屋根を突き抜けて生えている。
このクスノキは、萱島神社の御神木で、1972年の土居 〜 寝屋川信号所間の高架複々線化に伴う駅の高架化工事に際し伐採される予定だったが、寝屋川市民に親しまれていることから保存を望む声が上がり、残されることになったものです。
 ホームに緑を添えたことで、1983年に駅は大阪都市景観建築賞奨励賞を受賞している。
また木自体も「大阪みどりの百選」に選ばれています。
樹齢700年と言われる古木で、老化立ち枯れの心配もされています。
平成に入り大阪府の「緑化推進・自然保護政策」の一環で行われた古木の樹木診断で『保存治療の必要有り』と判定され、1991年に「(財)大阪みどりのトラスト協会」により手入れが行われた。
高架工事により、神社の上に駅が建設されることになった時、大楠は地元の人の熱心な要請により駅のホームに取り込む形で残され、神殿、拝殿、社務所等は、多数の地元の氏子の寄進により再建建造されました。
大阪府みどりの百選にも選ばれています。
一帯は「萱島流作新田」と呼ばれる開拓新田であったが、その鎮守として天明7年(1787年)に萱島開拓の祖神を祀ることとなり、宗源の宣旨により豊受大神・菅原道真が勧請・合祀された。
明治時代には村社に列格し、「神名社」という社名であったことが明治12年(1879年)の記録にあるが、明治40年(1907年)に一旦廃社となった。
萱島楠の隣の駅の下の敷地に京阪電鉄が社殿を造営・寄進し、昭和55年(1980年)7月、「萱島神社」として再興された。
友呂岐緑地(ともろぎ緑地)

友呂岐緑地

 友呂岐緑地は、昔、寝屋川沿いを並行して流れていた二十箇所用水路と友呂岐悪水路を一本にまとめて整備した緑道です。
面積は、38,232平方メートルあります。
 桜木町から京阪寝屋川市駅を経由して萱島駅を結ぶ約3.5キロメートルの緑地は、お花見やウォーキングなどで賑わっています。
見事に成長した約350本のサクラ、ケヤキ並木は緑地の歴史を感じさせています。
緑地の各所には、水と緑の自然景観を活かした休憩所が設置されています。
昔水路を行き来していた三枚板舟や親水施設、遊戯施設、健康増進施設なども設置されています。
三枚板舟(さんまいだふね)

三枚板舟

 ベル大利商店街より友呂岐緑地の用水路沿いへ降りていくと、大きな舟が展示されています。
隣に設置されていた案内板。
ところどころ虫食い文字のようになっていて読みづらいのですが、要するに、これは田に水を入れる用水路を通じて、農具や刈り取った稲を積んで行き来していた舟なんだそう。
なぜ「三枚板舟」と呼ぶのかというと、当時は舟底を三枚の板で張っていたことが由来しています。
ちなみにこちらに展示されている舟は実際の物よりひとまわり小さく制作されたレプリカとのこと。
また、寝屋川市駅前にある船運碑にも記載があるとおり、古くから河川交通の重要な役割を果たしていた寝屋川。

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