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VG槻輪 5月「わがまち紹介」 |
月 日 | 2023年5月18日(木) | ||||||
総会場所 | 高槻市営 上の口バス停 集合 |
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内容 | 芥川城跡の史跡見学と散策 |
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その他 |
1)雨天等で中止の場合は前日に連絡網で連絡します 2)一般参加者は会員を通じて申し込んで下さい 3) 「三好芥川城の会」にガイドをお願いしています 4)ウォーキングスタイルで帽子・長袖で水筒持参でお願いします |
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記 原地区原村の上方に原山があり、原山の麓に原の池があると。 この「原村」は近隣町村との合併の末に、現在では「高槻市原」となっていて、町名としてそのまま残っています。 そもそも江戸時代の名勝地のガイドブックである「名所図会」に掲載されるぐらいなので、当時からそれなりの観光地だったのだしょう。 そんな原を詠んだ歌を一挙に掲載 〇むば玉の夜をへて氷る原の池は春とともにや波も立つべき 藤原孝善(後拾遺和歌集) 〇原の池に生ふる玉藻のかりそめに君をわが思ふ物ならなくに 紀貫之(古今和歌六帖) 〇原の池の蘆間に宿る月影はわかれし秋のかたみなりけり 歌枕名寄 圧倒的に「原山」よりも「原の池」の方が多い。 しかも季節は冬、そして夜が多い。 実はさみしい場所だったのでしょうか。 原地区を探索中に現在版の「原の池」を発見!それは、川魚料理店の原養魚場です。 原の八阪神社 八阪神社は、原の中村にあり、素戔嗚尊(須佐之男命)を祭神とします。 社記によると、清和天皇の頃(9世紀後半)、疫病が流行したため、牛頭天王(ごずてんのう)を迎えたのがはじまりとされています。
ワラで直径25cm、長さ30mもの大綱を編んで、これを大蛇に見立てて村中を練り歩いたのち、弓で射ます。 明治時代以前は、村の男たちが境内を流れる川を挟んで上下に分かれ、綱が切れるまで引き合ったといわれています。 近くの池に住んでいた大蛇を退治した故事によると伝えられますが、豊作を祈願する春祭りが起源と考えられています。 境内には、花崗岩製の石槽があります。 昔の石風呂との説もあり、芥川の教宗寺の石槽とともに、府の有形文化財に指定されています。 芥川城跡 芥川城跡は三好山の山頂にあります。 文部科学省は、文化財保護法に基づき、芥川城跡を史跡に指定した旨を令和4年11月10日に告示し、正式に国の史跡になりました。 史跡とは、日本の歴史上重要な遺跡を文化財として保護していくために、国が指定するものです。 高槻市内では平成23年の安満遺跡追加指定以降、7カ所6件目の国史跡の誕生です。 芥川城跡は、戦国時代の政治を知る上で貴重な遺跡です。 芥川城跡は、畿内周辺を支配した戦国武将・三好長慶の本拠である城跡で、織田信長政権直前の戦国時代の政治・軍事を知る上で貴重な遺跡です。 史跡指定につながったポイント 芥川城跡のここがすごい! ■東西約500メートル、南北約400メートルで3つの曲輪群からなる山城跡は摂津国(現在の府北中部と兵庫県南東部)最大規模 〇解説: 摂津峡に囲まれた標高182mの三好山の山全体に曲輪や堀切、石垣などの遺構が広がっています。 竪土塁、大土塁・堀切、囲郭土塁など、特徴的な遺構が山頂付近だけでなく城域の各所に分布しており、摂津国だけでなく大阪府下でも最大級の規模を誇ります。 ■戦国時代の大規模な山城遺構が良好に残り築城から廃城までの変遷が分かる 〇解説: 後世に破壊されるなどの影響が少ない状態で城郭の遺構が良く残り、発掘調査でも礎石建物や?(せん)列建物などの建物遺構が地中から多く見つかっています。 また、芥川城は多数の文献史料に登場しており、築城が永正13年(1516)までに完成を迎え、廃城が永禄12年(1569)以降とみられるなど、他の城に比べて記録が明瞭であることも大きな特徴です。 ■織田信長登場以前の、畿内の築城技術の高さ(石垣、瓦、縄張り)が分かる 〇解説: 現在に残る芥川城はその多くの遺構が、三好氏時代のものと考えられます。 戦国時代の城の多くが土造りであることに比べて、芥川城では織田信長以降の「織豊系城郭」に採用された石垣や瓦、発達した小口などの縄張りが先駆的に採用されています。 信長以前に畿内でこれらの要素がすでに採用されており、それらを信長が採用して近世城郭の礎になったと考えられます。 ■芥川城が政庁機能を持ち、畿内の政治の舞台が一時期、京都から芥川城へ移ったことを示す 〇解説: 豊富な文献史料からは、当時の権力者だった細川晴元や三好長慶が京都に居らずに芥川城で政務を執っていたことが明らかです。 研究者によっては「芥川政権」とも呼ぶ、畿内近国の政治の中心が芥川城にありました。 芥川城にかかわる文献史料の多さは、それだけ当時の人々が芥川城の様子を注視していた証でもあります。 〇解説は、高槻市街にぎわい部文化財課に文化財指定の内容を文書で回答をお願いし得た情報です。
下記は芥川山城跡パンフレットより ■堀 切
芥川山城では要所で堀切が確認され、堅い守りを実現していたこと標高182.69mの三好山を中心とする城跡がわかります。 ■石 垣
大振りの自然石と粗割石を用い、間に小石を詰めて目地 が通るように積まれています。 中央が崩れていますが、本来は幅12mの谷筋を塞いでいま した。 現在も2m以上の高さが残ります。 ■建物の跡
令和2年の調査では、一段下の曲輪で櫓の可能性を持つ?(せん)列建物が確認されました。 |