VG槻輪 「わがまち紹介」活動 |
月 日 | 2022年7月14日(木) | ||
集合場所 | 信太山駅(JR阪和線) 改札口 |
||
訪問先 | 大阪府立弥生文化博物館・史蹟池上曽根遺跡 |
||
その他 |
1)コロナ等で中止の場合は前日に連絡網で連絡します。 2)65歳以上の方は、年齢を確認できる証明書を持参下さい。 |
||
記 和泉市和泉市(いずみし)は、大阪府の泉北地域に位置する市です。 昭和48年(1973年)10月のオイルショック後から大阪都心のベッドタウンとして開発が進み、かつては人口増加率で大阪府下1位を記録するなど、宅地造成が活発に行われていた。市では、新しい道路や施設の整備、企業誘致や観光振興など、様々なサービス改善に力を入れている。 弥生時代の集落跡として全国有数の規模を誇る池上曽根遺跡のある、長い歴史をもつまちです。 大阪府立弥生文化博物館
この博物館では、これまでに蓄積された弥生時代の文化的な遺産や情報をもとに弥生文化の歴史的な意義を理解し、ひいては日本文化全般について考える場となることを目指した、日本初の「弥生文化に関する 博物館」といえます。 大阪府立弥生文化博物館は、弥生文化に関する資料と情報を収集・保存・研究・展示し、弥生文化に広く親しみ、学習出来るようになっています。 地元の遺跡にとどまらず、弥生文化全般を広く対象とする全国で唯一の博物館です。 展示室は、実物のほか、レプリカや模型、映像など多角的に活用し、わかりやすさをこころがけています。 常設展示室は、日本の弥生文化をテーマごとに解説する「目で見る弥生文化」と池上曽根遺跡出土品を中心とした「池上曽根ワールド」で構成しています。 これ以外に特別展、企画展を開催する特別展示室を設け、 さまざまな視点 で展示を行い、最新のデータを発信しています。 池上曽根遺跡
広さは約60万平方メートルで、環濠の内側に、掘立柱建物群があり、中央には大型の掘立柱建物があります。 花粉などの自然遺物の分析により、アカガシなどの広葉樹の森や、アシ、ススキなどの湿地草原が遺跡周辺に広がっていたと思われます。 後方には大阪湾がみえます。 二千年前の大阪湾は、池上曽根遺跡のわずか2キロメートル後方にまで迫っていました。 遺跡の東側を横切って走る大きな道路が、第二阪和国道(現26号線)です。 弥生時代にはその道路の手前と、遺跡の奥に河川がありました。 手前の河川では堰が発見され、遺跡の北側には水田が拡がっていたと考えられます。 ただし、池上曽根遺跡が最も栄えた「弥生時代中期後半」には河川の流れは止まっていたようです。 この二本の河川にはさまれ、二条の環濠が、集落をとりまいています。 その外側には方形周溝墓(弥生時代のお墓)があったようです。 池上曽根遺跡では、お墓は集落の外側に造る習慣があったのかもしれません。 また、環濠のまわりには竪穴住居が密集していました。 竪穴住居には、一時期に「何棟存在」し、「何人の人」がいたのか人口をめぐる解釈は様々です。 池上曽根遺跡は平野部に位置していますが、二千年前には河川などの影響もあり、今よりもっと起伏に富んだ地形をしていました。 信太山丘陵からも2キロメートルと近く、海と川と山に挟まれた豊かな土地であったようです。 ※ 5月に、高槻市の「安満遺跡公園」を見学して来ましたので、弥生時代の事をよりご理解して頂けると思います。 楽しく見学しましょう。 |