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VG槻輪
令和3年10月 活動予定

わがまち紹介
「次なる茨木へ」を合言葉に将来を見据えたまちづくり進む
茨木市
秋の川端通り散策し「川端康成文学館」見学

月    日 2021年10月14日(木)
集合場所 JR総持寺駅 改札出口 集合
訪問先 川端康成文学館
その他 1)小雨決行(中止の場合は別途連絡します)
2)散策出来るスタイルで参加下さい。

JR総持寺駅
 複々線の内側線のみに島式ホーム1面2線が設置され、駅設備は盛土下に設置されている。開業当初から二重引戸式の可動式ホーム柵が設置されている。ホーム柵は4扉車専用で、3扉車は非常時両端の扉のみの対応となる。
改札内に旅客用トイレ(多目的トイレ併設)、階段、エスカレーター、エレベーター、待合室が設置されている。
直営駅ではあるが駅長は配置されておらず、高槻駅が当駅を管理している。
開業時からみどりの窓口は設置されておらず、みどりの券売機プラスが設置されている。
駅のデザインコンセプトは「街と街、人と人、時(歴史)と時(未来)をつなぐ新たな駅」としている。
改札出口の壁面jr総持寺駅アートプロジェクトが有ります。
半年ごとに絵が変わるとの事です。
西河原新橋

西河原新橋

 茨木市の安威川に架かる凝ったデザインの橋でJR総持寺駅と旧市街を結んでいます。
平成15年3月20日、安威川をはさむ田中町と西河原1丁目を結ぶ西河原新橋(市道田中町西河原線)が開通し、西河原方面から茨木市中心部への交通の利便性が向上しました。
また、夜間はライトアップも実施されています。
伏見屋本店
 「伏見屋 本店」は、裏の工場で、その時々にあった国産の大豆100%と、豊臣秀吉が大阪城で茶会をする際に献上されたという逸話がある、茨木の軟水で作った、大豆の味がしっかり味わえるお豆腐屋さんです。
史跡丸また

史跡丸また

 おそらく日本の中でも最も古い高架のひとつが「田中の丸また」です。
1876年(明治9年)に東海道本線開通と同時にできたみたいです。
現在も地元との人たち抜け道として利用されてます。
川端通り散策路
 茨木市民の憩いと安らぎの場、元茨木川緑地は、田中町から横江一丁目までの全長5キロメートルの緑の遊歩道。
昭和24年に廃川となった元茨木川をグリーンベルトとして整備したもので、桜、クスノキ、カシ、ハナミズキ、レンギョウ等約四十種、松を配した白砂青松コーナー、梅園、花壇、オリーブの森等変化に富む景観は四季折々の姿を楽しませてくれます。
川端康成文学館

川端康成文学館

 『伊豆の踊子』『雪国』などで親しまれる著名な作家で、昭和43年(1968年)にノーベル文学賞を受賞した川端康成は、幼児期から旧制中学校卒業期まで茨木で暮らし、この時期に文学への志を深めました。
茨木市は「川端康成のゆかりのふるさと」として、多くの市民が川端康成やその文学に親しむ拠点となるよう、昭和60年(1985年)5月「川端康成文学館」を開館しました。
併設のギャラリーでは、川端康成の誕生日、明治32年(1899年)6月14日を記念し、毎年6月に川端康成や川端文学のゆかりによる企画展を開催しています。
さらに随時、川端に因む企画展を開催するほか、近隣の美術家による展覧会を開催しています。
立命館大学OICInternational House
 2018年3月、立命館大学大阪いばらきキャンパス近くに国際寮「OICインターナショナルハウス(OIC Iハウス)が完成しました。
初めて日本で暮らす留学生が、日本の生活、習慣に戸惑わないよう、各種サポート体制を整えています。
また、留学生と国内学生が共同生活を通じて国際・多文化交流や多様な学び、地域交流を促進する国際教育の場として、さまざまな活動を行っています。
寮生たちは、寮生活やこれらの活動を通じて、異文化理解力や傾聴力、外国語能力等を培っています。
茨木税務署
 茨木税務署では、納税者の皆様を待たせしないよう、面接相談の事前予約制を実施しています。
面接相談を希望する方は、茨木税務署に電話で相談日時を予約が必要です。
予約の際、名前・住所・相談内容を申請します。
相談日に持って来る書類等が事前に指示があります。
市民総合センター(クリエイトセンター)

市民総合センター

 茨木市クリエイトセンターは、設立されて以来地元住民の交流の場や音楽、芸術、カルチャーを楽しむ場として親しまれ続けている多目的施設である。
広々とした空間と音響や照明設備にもこだわったセンターホールの最大収容人数は、車椅子席を含めて429人となっており、ロックやジャズ、アコースティックなどといったライブイベントやピアニスト、ヴァイオリニストによるワンマンコンサート、地元吹奏楽団や中高生吹奏楽部による定期演奏会、茨城市が主催する音楽祭、ミュージカル公演などの音楽イベントや舞台を生かしたイベントが随時行われている。
また、研修や会議、カルチャー教室、展示会などで利用することができる会議室も併設されているため、1年を通して茨木市クリエイトセンターに訪れる人が多い。
センターホール(固定席426席、車いす3席)のほか、多目的ホール、会議室等を備えた施設です。
発表会や講演会、展示会、会議などにご利用できる。
入口1階には、2021年4月から「Nal's Cafe(ナルズカフェ)」というカフェが出来ていて、定食もあります。
中央公園・希望の泉
 中央公園は、JR「茨木」駅、阪急電鉄「茨木市」駅から徒歩10分、市役所前の交差点を越えると南北に広がる大きな公園である。
北側には庭球場があり全天候型コート3面に照明設備も完備されている。
そして南側には野球・ソフトボールを除く各種スポーツに対応できるグラウンドが1面、こちらも照明設備が完備されている。
使用時間は5月から10月までは朝7時から夜9時まで、10月から5月までは朝9時から夜9時までとなっている。
市民会館跡地エリア

市民会館跡地エリア

 検討してきた構想、計画に基づき、市民会館跡地エリアの設計、工事について、公募型プロポーザル方式により募集を行ったところ、3者から応募があり、1月18日に開催した「市民会館跡地エリア整備事業者候補者選定委員会 公開プレゼンテーション」を経て、選定された。
その結果、「日々何かが起こり、誰かと出会う」をコンセプトに、建築に開放的なテラスや緑を積極的に配置することで、ランドスケープと建築が相互に浸透しあう「立体的な公園」のような公共空間をつくるとした「竹中工務店・伊東豊雄建築設計事務所共同企業体」を整備事業者として決定した。
茨木神社
 大同2年(807年)、坂上田村磨が荊切の里(地名「茨木」の由来)を作った際、今は奥宮となっている天石門別神社が創建されたのに始まると伝えられる。
当時は、現在の茨木市宮元町に鎮座していた。
天石門別神社の名は、「延喜式神名帳」にも見える。
楠木正成が茨木城を築くに当たって現在の位置へ遷座し、以後代々城主の崇敬を受けた。
織田信長は統治手段としてキリスト教を保護し、一方で社寺の破壊を行っていたが、天照大御神、春日大神(天児屋根命)、八幡大神(誉田別命)それに信長自身の産土神である牛頭天王(素戔嗚尊)だけは、さすがの信長も恐れて破却しなかった。
そこで天石門別神社は社名を隠し「牛頭天王社」と号して破却を免れ、また後になって素戔嗚尊を実際に合祀したという。
元和8年(1622年)には社殿を新築すると共に、従来の天石門別神社を奥宮とし、素戔嗚尊を本殿に遷して本社とした。
明治5年(1872年)には郷社に列せられている 来たる令和4年(2022)は、現本殿が創建されて丁度四百年の年に当たります。
この佳節を迎えるにあたり、御本殿創建四百年記念事業委員会を結成し、損傷著しい御本殿の修復及び昭和4年の葺替から90年を経て雨漏が著しくなった屋根の葺替、また高床の拝殿への昇降解消のため幣殿・拝殿の造替などを実施することとなった。

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