VG槻輪 わがまち紹介 |
月 日 | 2020年9月17日(木) | |||||
集合場所 | 京阪出町柳駅改札出口 集合 |
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訪問先 | 旧三井家下鴨邸見学・河合神社参拝・糺の森散策・下鴨神社参拝 | |||||
その他 |
1)小雨決行 2) 一般参加者は会員を通じて事前に必ず申し込んで下さい。 3) 旧三井家下鴨邸2階客間をVG槻輪で借ります。 4)旧三井家下鴨邸で庭園散策・邸内を鑑賞します。 ※ 2階座敷は一般公開で入室禁止です。 | |||||
下鴨は、京都盆地北東部の賀茂川(鴨川)と高野川が合流する地点の北側に広がる地域で、京都市左京区に属する。 日本の首都が平安京に移る前から賀茂氏一族が住んでいた地域であり、賀茂氏の氏神であった賀茂別雷神社(上賀茂神社)と賀茂御祖神社(下鴨神社)のうち、下鴨神社の周辺を指して下鴨と呼ばれるようになった。 中世には下賀茂とも呼ばれていた。 上賀茂・下鴨神社の社領であったため近代に入るまで仏教寺院が建てられたことはなく、のどかな農村地帯であった。 江戸時代以降は愛宕郡蓼倉郷下鴨村に属していたが、大正7年(1918年)に京都市上京区に編入された。 後に上京区が分割されたため左京区に属することになった。 昭和9年(1934年)には北大路通が整備されるとともに京都市電北大路線が高野まで開通して交通の便が良くなり、住宅地の開発が進んだ。 下鴨の邸宅
鴨川の上流、賀茂川と高野川に挟まれた地に位置している街、下鴨。 世界文化遺産の「下鴨神社」やその周囲に広がる原生林の「糺の森」、「京都府立植物園」など、多彩なスポットがあります。 賀茂川には遊歩道が整備されています。 京都の高級住宅地と言えば、やはり下鴨の右に出る所はないでしょう。 関西で一番土地が高いのは芦屋かなと思っていますが、北山駅に近いところだと1坪200万する物件もあり、最低でも1坪150万からという感じだそうです。 旧三井家下鴨別邸
三井家11家の共有の別邸として三井北家(総領家)第10代の三井八郎右衞門高棟(たかみね)によって建築された邸宅です。 この地には明治42年(1909年)に三井家の祖霊社である顕名霊社(あきなれいしゃ)が遷座されましたが、その参拝の際の休憩所とするため、大正14年(1925年)に建築されたのが現在の旧邸で、主屋、玄関棟、茶室が現存しています。 建築に際しては、木屋町三条上るにあった明治13年(1880年)建築の三井家の木屋町別邸が主屋として移築されました。 昭和24年(1949年)には国に譲渡され、昭和26年(1951年)以降、京都家庭裁判所の所長宿舎として平成19年まで使用されました。 近代京都で初期に建設された主屋を中心として、大正期までに整えられた大規模別邸の屋敷構えが良好に保存されており、近代和風建築として価値の高いことから、平成23年(2011年)に重要文化財に指定されました。 糺の森(ただすのもり)
文化や文明は、それぞれの国や地域の人々によって受け継がれ、はぐくまれて次代へつながれ、次代の文化として伝えられます。 その文化と文明の賜物を次代へ伝えるためにも、都市の森林は極めて重要な役割を担っています。 都市における森林は、大気の浄化を助けて環境を守るだけでなく、豊かな森の営みや季節の風景は人々の心身を癒し、子どもたちには森の生き物たちの営みや自然のしくみを学ぶ場となります。 太古の自然を遺す森
国際文化都市・京都の中心に位置し、その昔は150万坪にも及んでいたと伝えられています。 ケヤキ、エノキ、ムクノキなどの広葉樹を中心に、古代・山背原野の樹林を構成していた樹種が自生。 樹齢600年から200年の樹木が約600本にも数えられ、森林生態学、環境学などの学術分野からもたいへん貴重な森とされています。 人の心を伝える森 糺の森には瀬見の小川や奈良の小川など、四季折々の美で人の心をとらえてやまない名所があります。 奈良・平安時代より、数々の詩歌管絃、物語にもうたわれてきました。 『源氏物語』須磨の巻では、光源氏が、憂き世をば、今ぞ別るる とどまらぬ 名をば糺の 神にまかせてと都を離れる想いを詠んでいます。 神秘の森として敬われてきた糺の森は、人の想いも伝え続けてきたのです。 河合神社
ご祭神には神武天皇の母、玉依姫命をお祀りし、玉依姫命は玉の様に美しい事から美麗の神としての信仰も深い。 河合神社ではこの美麗の祈願絵馬として鏡絵馬の授与を行っている。 手鏡の形をした絵馬(顔を表す模様が入った)にご自身の普段使用されている化粧品でメイクをしていただき、裏に願意をご記入いただくもので絵馬にご自身の綺麗な表情を描いて頂き、絵馬に願いを託すことにより外見だけでなく内面も磨いて美しくなっていただくと言う絵馬である。 また、この河合神社は、三大随筆の一人、鴨長明に関係の深いお社で鴨長明は河合神社の禰宜の息子として幼少時代を過ごした。 現在では、この河合神社には長明が晩年過ごしたと言われる建物を再現した方丈の庵が展示されている。 |