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VG槻輪
平成31年8月 活動予定

わがまち紹介
お金について学べる施設のあるまち
尼信会館と世界の貯金箱博物館見学
尼崎

月    日 2019年8月8日(木)
集合場所 阪神尼崎駅改札出口 集合
訪問先 尼信会館・世界の貯金箱博物館
その他 1)一般参加者は会員を通じて申し込んで下さい。
2)どちらも館の方に説明して頂く予定です。
3)雨天決行

尼崎
 東を流れる猪名川・神崎川と、西を流れる武庫川に区切られた尼崎市域は、全体が平坦な尼崎平野を形成しています。この尼崎平野は、大阪湾の沿岸潮流や武庫川・猪名川が運ぶ土砂が堆積してできた土地です。
この数千年ほどの間に堆積が進み、海退ともあいまって、海岸線が南下してできた平野ですから、比較的新しい土地と言えます。
平安時代から中世にかけての尼崎市域では、地域ごとに開発が進み、さまざまな荘園がつくられていきました。
近世に入ると、政治・経済・軍事などあらゆる面で、大坂が幕府の西国支配の最重要拠点となりました。
その西に位置する尼崎は、軍事上、大坂の西を守る要の地として、幕府から重視されることになります。
 このため幕府は、大坂の陣ののち、元和3年(1617)に譜代大名の戸田氏鉄を尼崎に配置し、新たに四層の天守を持つ本格的な近世城郭を築城させました。
この尼崎城築城にともなって、城の建設地や中世以来の尼崎町にあった寺院が、城の西に集められて寺町となりました。寺町には今も11か寺が残っており、建物や収蔵品には文化財に指定されているものも多く、江戸時代以来の城下町の面影を現在に伝えています。
明治維新によって尼崎藩はなくなり、尼崎城も廃城となりました。城下町は一時期活気を失います。
明治7年(1874)には、官設鉄道が大阪・神戸間に開通し、現JR尼崎駅である神崎ステーションも開設されました。続いて明治24年には尼崎・伊丹間を結ぶ川辺馬車鉄道が開通し、のちに摂津鉄道・阪鶴鉄道を経て、現在のJR宝塚線となりました。さらに明治38年には阪神電気鉄道本線、大正9年(1920)には阪神急行電鉄(阪急電鉄)神戸線・伊丹支線、昭和元年(1926)には阪神国道(国道2号線)が開通するなど、交通網が次々と整えられていきました。
戦後尼崎の復興は、まず商店街の再建から始まりました。
 落ち込んだ工業生産も、昭和25年の朝鮮戦争にともなう特需景気によって息を吹き返し、やがて高度経済成長期にかけて、鉄鋼を中心とする工業都市尼崎が復活を遂げていきました。

本興寺
 本興寺は法華宗四大本山の一つで、応永27年(1420)日隆上人の開基した寺院。開山堂・三光堂・方丈は室町・桃山時代のすぐれた建造物として国の重要文化財に指定されています。開山堂の日隆上人坐像(重要文化財)は、生存中に堺の仏工浄伝に命じて作らせたと伝えられています。
方丈・開山堂などが兵庫県南部地震で大きな被害を受けたため3年かけて修理工事を行いました。

尼崎信用金庫
 店舗網は尼崎市周辺だけでなく浪速信用金庫を合併したことにより、大阪府下にも多くの店舗を有するなど営業区域は広い。また、総預金残高は2兆円を超える兵庫県下最大の信用金庫(近畿地区では京都中央信用金庫に次ぐ2位)であり、兵庫県に本店を置く金融機関としてはみなと銀行に次ぐ規模を有する。
「尼信会館」と「世界の貯金箱博物館」という企業博物館を持っている。

尼崎信用金庫記念館(尼信記念館)
 尼信会館前の赤れんが造りの建物は「尼崎信用金庫記念館」で、大正10年に創業した当時の本店です。明治時代に建築された当初の赤煉瓦をそのまま使い、昭和47年に復元したものだそうです。

尼信会館
 尼崎信用金庫が創業80周年に記念事業の一環として、地域の発展と地域文化向上のために、平成13年6月1日に開設されました。尼崎城の外壁をイメージし、歴史的に貴重な資料を数多く展示するとともに、施設の一部を地域の芸術、文化の発信基地として利用できるスペースも兼ね備えた建物になっています。

世界の貯金箱博物館
 尼崎信用金庫職員が趣味で集めた貯金箱コレクションを元に、1984年(昭和59年)4月に設立された。
2015年(平成27年)3月時点では、約13,000点に及ぶ世界の貯金箱コレクションを有し、その中から約2,500点を常設展示している。
貯金箱のコレクションとしては世界的にみて最大規模である。日本のみならず、欧米など世界62か国のものが含まれている。
また、常設展示以外にも、コレクションを活用して、クリスマス関連の展示など特別展示を企画・実施している。

尼崎城の再建
 2015年、ある人物の申し出をきっかけに、尼崎城再建計画は動き出した。
そんな尼崎城の再建を申し出たのが、尼崎市で家電販売店の旧ミドリ電化(現エディオン)を創業した安保詮氏だ。「お世話になった尼崎に恩返しがしたい」という思いから、天守の復元を尼崎市に打診。建設費用は実に10億円以上。それをすべて安保氏が負担するという、願ってもない申し出だった。城の跡地は国史跡に指定されておらず、文化庁の規制がかからないという事情もあり、市が城址公園の整備を担うことで、建設計画はスムーズに進んだ。
 再建されたのは、4重の天守と2重の付けやぐら。
かつての場所からは約300メートル西の公園で、左右反転させる形で建設された。
 市の説明では、「駅からお城を見た時に、街を守っているように見えるような雰囲気を大切にしました」  2019年3月29日から一般公開されています。

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