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VG槻輪
平成31年5月 活動予定

わがまち紹介
日本茶800年の歴史散歩のまち
八幡市上津屋
上津屋橋(流れ橋)のあるまち

月    日 2019年5月16日(木)
集合場所 京阪八幡駅改札出口 集合
訪問先 上津屋橋(流れ橋)・伊佐家住宅 他
その他 1)雨天決行
2)一般参加者は会員を通じて申し込んで下さい。
3)八幡市の訪問先ではガイドをお願いしています。
4)詳細は追って資料で連絡します。

八幡市上津屋
江戸時代から明治時代の中頃まで、木津川の両岸地域が上津屋村という一つの農村であったことから、住民は渡し船で川を頻繁に往来していた。
ただし、渡し船での渡河は利便性が悪かったことから、1953年(昭和28年)に少ない予算で架橋できる流れ橋を架けたのが上津屋橋の始まりです。
上津屋橋(こうづやばし)
正式名は府道八幡城陽線上津屋橋(こうづやばし)で、通称流れ橋と呼ばれています。 上津屋橋は、京都府道281号八幡城陽線の一部に指定されている、橋長(全長)356.5 m、幅3.3 mの橋で日本最長級の木橋です。歩行者と自転車の専用橋となっており、周辺住民の生活道路の一部として利用されている。
手すり及び落下防止となる欄干は無く、バイク・自転車は降りて通行するよう注意書きの看板があがっている。街路灯が設置されていないため夜間は暗い。
木津川の水が増水した場合、固定されていない橋板が橋脚の上から流される構造(流れ橋)になっており、1枚あたり幅40〜50cmある板が8枚、ワイヤーロープで繋がれて載っているだけで、水が引いたあとは、ワイヤーロープを手繰り寄せて橋板を元に戻す仕組みになっている。橋桁が流失した場合、利用者は約500 m下流側にある新木津川大橋などへ迂回することになる。
上津屋橋の周囲は堤防の外側であるため、主に茶畑として利用されており、民家や電柱などがない。近代的な橋とは異なる外観を利用して時代劇のロケーション撮影地としても利用される。
日本茶800年の歴史散歩
「日本茶のふるさと」として平成27年、山城地域8市町村を対象に認定された日本遺産「日本茶800年の歴史散歩〜京都・山城」に、平成28年4月25日、新たに久御山町佐山浜台の「浜茶」の景観など同地域の4町が追加認定されました。
木津川をつなぐ流れ橋(上津屋橋)と、そのたもとの河川敷に広がる上津屋・浜台の覆下茶園「浜茶」。古くから良質な碾茶(抹茶の原料)の産地として有名で、昔ながらの実生茶園(茶の実から栽培する茶園)も残っている。
伊佐家住宅
伊佐家の住居で、国の重要文化財に指定されている。
母屋は享保19年(1734)に建てられた入母屋造り。大きな茅葺屋根は、かつてあった巨椋池の茅で葺かれ、特徴的な赤い壁は、今は入手できない伏見の「桃山」という壁土を用いる。
当家は、江戸中期南山城地方における代表的な庄屋屋敷として、昭和50年主屋が国の重要文化財の指定をうけ、次いで昭和55年長蔵・内蔵・東蔵・乾蔵などの一連の建物が追加指定された。
主屋の屋根は、茅葺で軒端の厚さが1.5mにも及び、支える柱や梁はどっしりと太く、いかにも庄屋の屋敷らしい。
屋敷の周囲には濠をめぐらせ、防禦と水利を兼ねた環濠住居で、棟札により1734(享保19)年造立とわかる。

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