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VG槻輪
平成31年1月 活動予定

わがまち紹介
大坂の中心地「天下の台所」のまち
大阪市天満
「大阪くらしの今昔館」見学

月    日 2019年1月16日(水)
集合場所 天神橋筋六丁目駅 北改札出口
訪問先 大阪市立住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」
その他 1)雨天決行
2)一般参加者は会員を通じて申し込んで下さい。
3)「大阪くらしの今昔館」では説明をお願いしています。
4)入館料:600円/人(当日有効です)(障がい者手帳をお持ちの方は無料)
5)昼食は新年親睦会を予定しています。

天満
 大川を挟んで上町台地の北に位置する天満は、天満砂堆と呼ばれる微高地の南端にあたり、淀川が氾濫しても水没を免れる平地として古い歴史をもっている。現在は大阪天満宮の摂社となっている大将軍社は、652年(白雉3年)に遷都された難波長柄豊碕宮の鎮護社として創建された神社である。
901年(延喜元年)に菅原道真が大将軍社を参拝し、のちに天満宮となった。

大阪寺町の地図

石山合戦の後、貝塚本願寺へ逃れていた顕如を豊臣秀吉が天満川崎へ呼び戻し、1585年(天正13年)に天満本願寺を建立した。
このように天満はもとは寺内町ということになるが、2年前の1583年(天正11年)に始まった大坂城下の整備とほぼ同時進行で行われた。
秀吉は天満を船運の拠点にしようと考えており、1598年(慶長3年)には天満堀川が開削されている。
また、のちに船場へ移り、さらに雑喉場・靱といった下船場へ移った生魚商・塩干魚商らも、もとは天満に居住していた。
大坂の陣の後、松平忠明による復興の際には、北の防御線として天満北縁の西成郡川崎村および北野村に天満寺町が形成された。
天満堀川を境に天満東寺町・天満西寺町とも呼ばれる。
1619年(元和5年)頃まで天満は大坂とは別の町とみなされており、大坂編入後も町人地はしばらく北組・南組の二分だった。
やがて上町や島之内を凌駕するほどの商業と人口の集積が見られるようになったことから天満組が成立し、以後大坂の町人地は大坂三郷と呼ばれるようになった。
天満組の成立年代は不詳であるが、1629年(寛永6年)には惣会所が設置されている。
大川西岸付近の東部には川崎東照宮や津藩・桑名藩・岸和田藩などの蔵屋敷が立地し、天満東寺町付近から天満の北縁および東縁一帯にかけて大坂町奉行の与力・同心屋敷も置かれた。
1653年(承応2年)、京橋片原町から天満の淀川沿岸に青物市場が移転し「天満青物市場」が誕生した。
この市場は西成郡難波村など城下南郊の近郊農村が開設しようとした市場や新興の堀江にできた市場などから挑戦を受けるものの、長年大坂の青果取引を独占する官許市場として繁栄し、周囲には野菜などに関わる商家が多く集まった。
天満堀川沿いは造り酒屋や乾物問屋などが軒を連ねた。

天神橋筋商店街(てんじんばしすじしょうてんがい)
 大阪府大阪市北区にあるアーケード商店街 天神橋一丁目から天神橋六丁目まで南北2.6 km、600の店舗が軒を連ねる日本一長いアーケード商店街である[1][2]。
天神橋筋は、大阪天満宮の門前町として発展してきた商店街で、大阪三大市場のひとつの天満青物市場も近くにあったことから、庶民の盛り場として大阪きっての賑わいを見せていた[1]。
1931年(昭和6年)に市場機能が大阪市中央卸売市場に集約されてしまい、大型店の出店攻勢、地下鉄と阪急電鉄の相互乗り入れでターミナル性を失ってからは苦境に立たされたが、各商店会では魅力ある商店街を目指して巻き返しを図っている[1]。

大阪くらしの今昔館

江戸時代の大阪のまち

 大阪市立住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」は、大阪の都市居住に関する歴史と文化をテーマとする日本で最初に開館した、住まい専門の博物館である。
江戸時代後期から戦後にかけての住居に関する資料や模型が展示されている。
大阪くらしの今昔館は、「住まい」をテーマとした日本初の専門博物館である。
高度な学術性を踏まえ、市民の目線に立って歴史を読み解き、見せる展示を超えた「体感する」展示を目的とし、「住まいと暮らし」の情報交流拠点としての集客型ミュージアムを基本理念としている。
1990年に「大阪市内の住宅に関する情報サービスや相談、さらに新しい住まいや大阪の都市居住の歴史などについても知ることができる総合的な住情報拠点」として、現在の「住まい情報センター」の構想が位置づけられた。
1999年11月に大阪市立住まい情報センターが開設され、1年半後の2001年4月に大阪市立住まいのミュージアムが誕生した。
大阪の都市居住の歴史を楽しく学ぶ中核施設、また「住む町・大阪」に対する愛着とイメージアップを図る住情報の拠点として、住まい情報センターの活動の一翼を担っている。
2002年4月には、愛称として「大阪くらしの今昔館」が決定された。
普通にあるものと思っていた人々の暮らしの風景が徐々に姿を変えて消えていっているとしたらどうでしょう。
当たり前に感じられていたものが、もう二度と手に入らないとわかった瞬間、人ははじめてその価値に気付くのかもしれません。
大阪暮らしの今昔館はそんないつの間にか消えていった人々の暮らしの風景を残してくれている貴重なお出かけスポットです。
 忘れかけている昔懐かしい大阪の暮らしに再び出会える「大阪くらしの今昔館」です。

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