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VG槻輪
平成30年5月 活動予定

わがまち紹介
自然と歴史文化が調和しやすらぎのまち
石清水八幡宮昇殿参拝
八幡市

月    日 2018年5月17日(木)
集合場所 京阪八幡市駅 改札出口
訪問先 石清水八幡宮 石清水八幡宮昇殿参拝
その他 1)雨天決行
2)石清水八幡宮昇殿参拝 宮司さんに説明をして頂きます。
3)石清水八幡宮は、八万市観光ガイドの方にガイド・説明してい頂きます。
4)参加者は「VG槻輪の名札」を持参下さい。

八幡市
 八幡の歴史は古く、市域の南西部丘陵地から約2万年前の石器が出土しており、すでに旧石器時代には人が生活していたことがうかがわれます。また、弥生時代や古墳時代の遺跡などが市域全域に分布しており、古代から開けていたことを示しています。
古代から近世に至るまで、交通手段として木津川や淀川の水路の利用が高まるとともに、陸路として古山陰道、東高野街道、京街道が整備され、山陰や奈良、京都へ通じる交通の要衝として重要な役割を担ってきました。
貞観元年(859年)、平安京を鎮護するため、九州から八幡神が勧請され、男山に石清水八幡宮が建立されてからは、その門前町として発展しました。
文化面では、江戸時代初期、寛永の三筆の一人と称される松花堂昭乗が石清水八幡宮の坊舎に住まいし、当代の著名な文人たちと集い、書道・茶道・和歌などを介して文化の発信基地としても高い地位を占めていました。
江戸時代から明治期にかけては、農作物の開発や栽培が盛んとなり、京都・大阪という大消費地を抱え、豊かな田園の広がる近郊農村としても発展しました。また、門前町としての規模的な拡大こそなかったものの、商業においても安定した発展を続けてきました。
 昭和50年には人口が5万人(国勢調査)を超え、昭和52年11月1日に市制を施行、京都府内で11番目の市となる八幡市が誕生しました。その後も人口増加を続け、平成5年1月末日現在76,467人となりましたが、これをピークに以降は漸減し、現在は7万3千人前後を推移しています。

石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)
 京都府八幡市にある神社です。旧称は「男山八幡宮」。二十二社(上七社)の一社で、伊勢神宮(三重県伊勢市)とともに二所宗廟の一社。宇佐神宮(大分県宇佐市)・筥崎宮(福岡市東区)または鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)とともに日本三大八幡宮の一社で、宮中の四方拝で遥拝される一社。本殿を含む建造物10棟が国宝に指定されている(2016年2月9日指定)。本殿は現存する八幡造の中で最古かつ最大規模を誇ります。
 平安時代前期に八幡宮総本社の宇佐神宮(大分県宇佐市)から勧請された神社で、京都盆地南西の男山(鳩ヶ峰、標高143メートル)山上に鎮座する。皇室からは遠国の宇佐神宮に代わり二所宗廟の1つとして崇敬されるとともに、京都の裏鬼門(南西)を守護する神社の代表格として鬼門(北東)の延暦寺とともに重要視された。武家からは特に源氏が武神として信仰し、源氏の広がりとともに壺井八幡宮・鶴岡八幡宮など、当社から各地に八幡宮が勧請された。
 創建以来、当社は境内の護国寺と一体になる宮寺形式をとった。往時は多くの堂宇が所在し山麓も壮大であり、その様子は山麓社殿を八幡宮と勘違いしたという『徒然草』の話で知られる。その後、明治維新の神仏分離において仏式は排除された。仏式で行われていた放生会もまたその際に「石清水祭」と名を変えたが、現在も同祭は大祭として葵祭・春日祭とともに日本三大勅祭の1つに数えられる。
創建以来、当社は境内の護国寺と一体になる宮寺形式をとった。往時は多くの堂宇が所在し山麓も壮大であり、その様子は山麓社殿を八幡宮と勘違いしたという『徒然草』の話で知られる。その後、明治維新の神仏分離において仏式は排除された。仏式で行われていた放生会もまたその際に「石清水祭」と名を変えたが、現在も同祭は大祭として葵祭・春日祭とともに日本三大勅祭の1つに数えられる。
境内は国の史跡に指定されており、大きく分けて本宮のある山上の上院と、頓宮や高良神社のある山麓の下院とから成る。また、本社10棟の建物が国宝に指定されている。「やわたのはちまんさん」と呼ばれ親しまれている。

昇殿参拝
 平清盛公が舞を奉納したと伝わる舞殿(ぶでん)において、お祓いをお受けし、参拝します。
その後、神職の案内により全国でも数社しか現存していないといわれる稀少な「八幡造(はちまんづくり)」の御本殿を始め、織田信長公寄進の「黄金の雨樋」や煌びやかな数々の極彩色彫刻を拝観します。

男山展望台
 男山展望台はあの八幡の目立つ山の中腹にある石清水八幡宮にある展望台です。夜景スポットとして人気ではありませんが、展望台からは低いながら京都市~宇治あたりが一望できます。眼下には京滋PBや名神など高速や幹線道路が集中しており車の流動が眺められます。

エジソン記念碑
 トーマス・アルバ・エジソンの電灯発明から50周年を記念して、1934年に建立された。(現碑は1984年再建)発光体であるフィラメントに八幡の竹(マダケ)が使用されたことによるもの。
また1986年8月に、エジソン生誕地の米国マイラン村と友好都市協定を結んだ。

航海記念塔
高さ6メートル、巨大な五輪石塔で重文。石造美術では国内第一とされている。口碑によれば、摂津尼ヶ崎の豪商が日宋貿易の帰途、石清水八幡宮に祈って海難をのがれた報恩のために、承安年間(1171〜1174年)に建立したと伝えられている。以後、安全な航海ができるということで船乗りがよく参詣したという。また八幡神を九州宇佐から男山へ勧請した行教律師の墓とも伝えられている。

本殿を囲む信長塀
 本殿をぐるっと囲む塀は、安土桃山時代に織田信長が寄進したもの。
この土塀は、天正8年に織田信長が寄進しました。瓦と土を幾重も重ねて作られた土塀です。
耐火性・耐久性に優れています。本殿を囲むように築かれていました。



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