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VG槻輪
平成30年3月 活動予定

わがまち紹介
桜の通り抜けのまち
北区天満1丁目
大阪造幣局

月    日 2018年3月22日(木)
集合場所 桜ノ宮駅 改札出口
訪問先 独立行政法人 造幣局. 造幣局本局
その他 1) 雨天決行
2)造幣局スタッフの方に説明をして頂きます。
3) 見学後一次解散とします。
4) 天気の場合は万博公園の「梅まつり」散策を計画しています。



造幣局旧正門詰所

大阪市北区天満
大川を挟んで上町台地の北に位置する天満は、天満砂堆と呼ばれる微高地の南端にあたり、淀川が氾濫しても水没を免れる平地として古い歴史をもっている。
現在は大阪天満宮の摂社となっている大将軍社は、652年(白雉3年)に遷都された難波長柄豊碕宮の鎮護社として創建された神社である。901年(延喜元年)に菅原道真が大将軍社を参拝し、のちに天満宮となった。
石山合戦の後、貝塚本願寺へ逃れていた顕如を豊臣秀吉が天満川崎へ呼び戻し、1585年(天正13年)に天満本願寺を建立した。このように天満はもとは寺内町ということになるが、2年前の1583年(天正11年)に始まった大坂城下の整備とほぼ同時進行で行われた。秀吉は天満を船運の拠点にしようと考えており、1598年(慶長3年)には天満堀川が開削されている。また、のちに船場へ移り、さらに雑喉場・靱といった下船場へ移った生魚商・塩干魚商らも、もとは天満に居住していた。

大阪造幣局

造幣局

造幣局は、近代国家としての貨幣制度の確立を図るため、明治新政府によって大阪の現在地(大阪市北区)に創設され、明治4年4月4日に創業式を挙行し、当時としては画期的な洋式設備によって貨幣の製造を開始しました。
その頃我が国では、機械力を利用して行う生産工業が発達していなかったため、大型の機械設備は輸入するとしても、貨幣製造に必要な各種の機材の多くは自給自足するよりほかなかったので、硫酸、ソーダ、石炭ガス、コークスの製造や電信・電話などの設備並びに天秤、時計などの諸機械の製作をすべて局内で行っていました。また事務面でも自製インクを使い、我が国はじめての複式簿記を採用し、さらに風俗面では断髪、廃刀、洋服の着用などを率先して実行しました。
このように、造幣局は、明治初年における欧米文化移植の先駆者として、我が国の近代工業及び文化の興隆に重要な役割を果たしたので、大阪市が今日我が国商工業の中心として隆盛を見るようになったのも、造幣局に負うところが少なくないといわれています。
その後、造幣局は、貨幣の製造のほか、時代の要請にこたえて勲章・褒章及び金属工芸品等の製造、地金・鉱物の分析及び試験、貴金属地金の精製、貴金属製品の品位証明(ホールマーク)などの事業も行っています。
平成15年4月1日から、独立行政法人造幣局となりました。

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