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VG槻輪
平成29年2月 活動予定

日本の初春を代表する花"梅"のまち
京都北野天満宮

月    日 2017年2月22日(水曜日)
集 合 場 所 阪急西院駅 改札出口
行  先 北野天満宮
その他 1)一般参加の方は、会員に申し込み下さい。
2)天候で降水率60%以上の場合は中止します。


北野天満宮


北野天満宮
 平安京は,中国の洛陽城や長安城を模して建設された。しかし,その後,長安城になぞらえた右京が早くに衰退,洛陽城になぞらえた左京のみが人口も増えて発展したため,洛陽が平安京の代名詞となった。京都が「京洛」と呼ばれ,「上洛」などと言うようになったのは,そういう事情による。
 また,京都の町を南北に分けた「上辺(かみわたり)」「下辺(しもわたり)」という表現は,平安時代末期頃から使われるようになり,中世には「上町(かみのまち)」「下町(しものまち)」,あるいは「上京」「下京」と呼ばれるようになった。当時の区画では,大内裏(宮域)の南辺を東西に通ずる二条通を境として上(北),下(南)両京に分けられたようである。この頃の上京は,中心に御所と室町幕府の「花の御所」を擁し,北野天満宮,相国寺などの大社名刹,そして,それらの需要を満たす多くの商・手工業者が集まって町を形成していた。「応仁の乱」後には機業地としての西陣が誕生し,上京の政治的,生産的な性格が定まった。
 明治以降の行政区画としての上京区,下京区の2区制も,古来の上京の名称や歴史的伝統を基礎としていたが,都市化が進むにつれて近郊を含んで膨張したため,その区域は次第に分割され,今日の上京区という行政単位が生まれるようになったのである。

北野天満宮
菅原道真を主祭神とし、相殿に中将殿(道真の長子・高視)と吉祥女(道真の正室)を祀っています。北野天満宮の最大の特徴は、日本で初めて『人』を主祭神としたことです。日本の神は山や海などに宿るとされていて、山や海そのものを崇めていました。神社などの建築物を建てて崇めたのは、仏教が影響していて、崇拝の対象物を建物に入れて儀式や礼拝を行う行為はそれまではなく、中国から仏像・仏殿が入ってきて人々が崇めるようになって、その影響で神道にも建物が出来るようになりました。それに伴い信仰の対象物が必要になり、それは天照大神や素戔嗚尊であったりしましたが、それはあくまで伝説上の人物で、実在の人物の死者ではありませんでした。


北野天満宮の梅

天神さんと梅
 北野天満宮の祭神である菅原道真が太宰府に左遷された時に詠んだ有名な歌があります。 「東風(こち)吹かば 匂い起こせよ 梅の花 主(あるじ)なしとて 春な忘れそ」 (春の東風が吹くようになったら、花を咲かせて香りを届けておくれ、梅の花よ。 私がいなくても、春を忘れないでいておくれ。) 都で出世街道を突き進み前途有望だったにも関わらず、その有能さを妬まれ左遷されてしまった道真公。太宰府へ旅立つとき、日頃愛していた梅の木に別れを告げた時の歌とされています。 この梅は道真を慕って、一晩のうちに都から太宰府に飛んでいったという伝説があります。これが有名な飛伝梅伝説です。太宰府天満宮には今でもこの飛伝梅が植えられているそうです。この伝説により北野天満宮の神紋には梅があしらわれています。北野天満宮には50種約2,000本の梅が植えられ、2月初旬から3月末までは梅苑も公開されます。梅の花はとても小さく桜のような豪華さはないですが、香りに誘われて大勢の参拝客が訪れます。

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