Top Pageへ前回の予定 へ|次の予定

VG槻輪
平成28年6月 活動予定

“わがまち紹介”
花緑と歴史と眺望のオアシス
“三次元の立体を味わえる”
須磨離宮公園

月    日 2016年6月1日(水曜日)
集 合 場 所 山陽電鉄 月見山駅 改札出口 9:45
行  先 須磨離宮公園
内   容 離宮公園の名前の由来を味わいながら公園内を散策しましょう
その他 1)入園料 400円/人必要です。
2)一般参加者は、会員を通じて申込み下さい。
3)バラの庭園(王侯貴族のバラ園)でもあります
4)弁当持参下さい。(月見山駅〜公園までにお店はありません)
5)前日午後6時のNHKの天気予報で、当日の午前中の天気予報で降水率60%以上の 場合は中止とします。

神戸市須磨区は華麗なる別荘地だったことをご存知でしょうか。
古代まで田畑も少なく、浜辺に漁師の家が点在するだけの寂しいところだったと言われています。しかし、西国から畿内への入口にあたり、交通の要衝であったため奈良時代には関や馬屋が置かれ、平安時代には「源氏物語」にも見られるように、都からさほど遠くなく、風光明媚で温暖な気候であったことから貴族の隠棲の地にもなりました。
 近代になり、明治21(1888)年に山陽鉄道(現在のJR山陽本線)が開通すると、華族や財界人からも別荘地として注目されるようになり、明治30年頃から別荘が建て始められました。
  月見山
月見山駅改札を出て右手の豆腐店と郵便局の間の道に入り、路面にプリントされているバラのイラストをたよりに、ゆるやかな坂道を登っていくと「王侯貴族のバラ園と文化植物園」神戸市立須磨離宮公園があります。
ここは、 千年以上の歴史を持つ由緒ある「月見」の名所として知られています。源氏物語の光源氏のモデルとされる平安貴族在原行平が、配流されたこの地の月に、都で見た名月をだぶらせて都を偲んだとされる場所が須磨離宮公園内の「月見台」。「月見山」の地名や駅名のルーツになっています。
須磨離宮
中門広場にある
白壁と中門・大木
須磨離宮の正式名は「武庫離宮」です。
天皇のご宿泊を目的に明治41年2月10日に造営が決定され、大正3年に完成しました。
完成してすぐ大正天皇、当時皇太子であった昭和天皇やラストエンペラーとして 知られる満州国溥儀皇帝らがご利用になられました。
もともとは、シルクロード探検で知られる西本願寺大谷光瑞氏が1902年(明治35年)に西須磨の高台に月見山に地を買い上げ設けた別邸でした。
大谷光瑞はシルクロードを探検したりした非常に行動半径の広い活動的な人だったようで そんな膨大な資料を整理するためにこの別邸を利用したようです。
宮内庁に買い上げられた代替地として光瑞は岡本の地を与えられ、二楽荘を作りました。
武庫離宮
その後、1907年(明治40年)宮内庁がこの山林、宅地を買い取り翌年より離宮造営が始まりました。
離宮の候補地としては明石城なども考えられたようですが、この地のほうがよい水が得られることなどからこの月見山の地に決定されました。
当時はコレラ等の疫病がはやり、良質の水が得られることは重要な問題でした。
温室なども相当りっぱなものが光瑞の敷地にはあったようです。
終戦後 離宮公園として市民に開放
惜しくも武庫離宮は昭和20年の空襲で消失しました。
いったんは神戸市に下げ渡されましたが、翌年には進駐軍の射撃演習場として接収されます。
神戸市に返還されたのは1956年(昭和31年)のことです。
そして1958年(昭和33年)皇太子殿下(現天皇 今上天皇)ご成婚記念行事として公園造成に着手。
1967年(昭和42年)に離宮公園として正式に開園された広大な都市庭園です。広い敷地に溢れる緑と花、約300種、8万株の草花や花木が植えられ、 一年を通して花が咲いています。庭園のランドマークの噴水広場は、水をモチーフにした美しい欧風庭園です。宮殿を模したレストハウスから湧き出た水は、メインフォールとなってカスケードを下り、最後は美しい弧を描く大噴水となって吹き上がります。その周りにはバラ園が幾何学的に配置され、近代的ながら欧風 庭園の伝統様式を備えています。ヨーロッパの宮殿を彷彿とさせる前庭、噴水越しに見下ろす瀬戸内海の穏やかな海、そこをゆっくりと滑り行く船影、そして水脈。かつての離宮の面影を一部に遺し、賛沢な空間が広がっています。

Top Pageへ