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VG槻輪
平成24年3月 活動予定

わがまち紹介
"清水ほとばしる天の川・星の里のまち:交野市私市

月    日 2012年3月22日(第4木曜日)
集 合 場 所 京阪私市駅改札出口 13:00

参考
阪急高槻11:56発−(京阪バス)→ 枚方市12:26着/12:35発−(京阪交野線)→ 私市駅12:48着
順路 京阪私市 → 大阪市立大学理学部附属植物園 → 星の里(いわふね) → 京阪私市
その他 1)大阪市立大学理学部附属植物園では職員の方に園内を説明して頂く予定です。
2)植物園入園料350円必要です。

 交野市は、大阪府の北東部、生駒山系の北端に位置し、古い都の大阪、奈良、京都の三都に近く、渡来文化人や都びと等の往来とともに、星降伝説や桜狩りなど、多くの古文献や伝承に謳われ、豊かな独特の文化風土を培ってきました。
私市駅  市域の南半分は、生駒国定公園、府民の森の緑あふれる山地で占められ、清水ほとばしる天の川ほかの渓谷と四季彩豊かな散策道が幾本も織り成します。
麓の大地には、ぶどう、みかん、いちご、いもなどの名産が豊かに実り、里には旧街道沿いに、土塀や長屋門の続く古い集落が散在します。
 以前は条例により建築が高さ制限されており、4階建て以上の建物がなかったが現在は撤廃され、マンション建設が盛んになりました。
市民憲章は「和」一文字で日本一短い市民憲章です。
 「星のまち☆かたの」というキャッチフレーズのとおり、交野市には星にまつわる地名や伝説がたくさんありますが、その中の一つは、交野市の中心部を流れる天野川です。
稲作が始まったころに、この地をたたえてあまの(甘野)といい、川水を甘野川と言ったことが由来と言われています。
それを平安時代、交野が原へ遊猟に訪れていた宮廷人が、歌合わせの際に、夜の大空に星の連なる「天の川」になぞらえたことから、この名が定着したと伝えられています。
 この天野川にかかる橋も「逢合橋」(あいあいばし)と呼ばれ、年に一度、棚機姫(たなばたひめ)(交野市倉治の機物神社(はたものじんじゃ)と牽牛星(枚方市の中山寺)が会った場所と伝えられています。
 星田という地名も、用水の不足で水田の耕作ができず、牧場にされたこの地は「乾し田」と呼ばれていました。それを、八丁三所の降星の伝説から、天界に広がる美しい星の田と改称されたということです。

大阪市立大学理学部附属植物園
植物園  前身は、満蒙開拓団の訓練施設として1941年(昭和16年)3月に開設された大阪市興亜拓殖訓練道場。第2次大戦が終わった1945年9月に大阪市立農事練習所となるが、1950年に大阪市立大学に移管され、研究施設理工学部附属植物園となる。
1959年に理学部と工学部に分離されたとき理学部附属植物園となり現在に至る。
生駒山系北西部麓の丘陵に位置する敷地面積26ヘクタールの府下最大級の植物園で園内は4つの尾根と3つの谷があるダイナミックな地形で大部分が樹木の植栽となっており、世界の樹林型および日本の樹林型(11種類)を復元している。この他、学問的に重要な外国産樹木や花木、草本類などの展示も行っています。
高さ30mを超えるメタセコイアの林やクスノキの巨木などがあり、 メタセコイアは1941年に元園長である三木茂博士が化石植物として命名したもので、日本で二番目に古い苗木が現存する。
近年、これらに加え今日的課題である絶滅危惧植物の保護育成にも積極的に取り組んでいます。
植物園は研究の場であるとともに、皆様方の自然学習や生涯学習の拠点として広く一般にも公開しています。
当植物園の特徴の一つとして、収集された植物は自然な環境において保存され、極力人間の管理を加えないこととしている。
例えば、落葉樹が紅葉したのち自然落下した葉は地面に堆積し、年月を経るうちに腐葉土となって大地に還元されることになる。
近隣の植物園の中では、敷地面積が大きい。
これは開園当初より、交通が不便な郊外に位置していたことが原因であるが、このことがかえって周辺地域の豊かな自然を今日まで保存することにつながっているといえる。
一部の花木類に関しては、品種群が充実している。
特に、ムクゲやツバキをはじめとした園芸品種がここでは多数保存されている。

星の里「いわふね」(愛称)
記念館 磐船渓谷のほとりに、ロッジやキャンプ場、プラネタリウム、体育館などが整備され、自然に親しみながら様々な体験のできる所。
家族、友達と一日楽しく過ごせます。
休日や夏休みには家族でいっぱい。
歓声が上がっています。
京阪電車・私市駅から徒歩8分。
国道168号線に沿って天の川がゆるやかなカーブを描いているすぐ横にあります。

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