VG槻輪
平成21年3月 活動予定
わがまち紹介
" 寛永時代の文化サロン松花堂庭園を散策:八幡市 "
月 日 | 平成21年3月19日(木) | 集 合 場 所 | 八幡市立松花堂庭園受付前 10:20 |
順 路 |
阪急高槻市駅(バス) → 京阪枚方駅(京阪) → 京阪樟葉駅
京阪樟葉駅 バスA乗り場 → バス停大芝下車(樟葉駅から約10分) |
そ の 他 |
1)一般参加者も歓迎します。 2)名札は持参下さい。 3)松花堂庭園に直接行かれる方は入園しないで待って下さい。 4)園内を説明をして頂けるように説明者をお願いしています。 5)弁当持参で参加下さい。 6)園内では飲食出来ません。 7)園内の美術館別館の会議室をお借りしています。 |
記 |
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京都府八幡市の松花堂庭園があるところは小字名を「女郎花(おみなえし)」といいます。 平安時代に八幡の男山に住む小野頼風とその恋人の悲恋の物語に由来があり、恋のもつれから、山吹重ねの衣をぬぎすてた女が川に身を投げたあとに咲いた黄色い花がオミナエシでした。 現在も女郎花塚が園内に残っています。 松花堂弁当は、全国的に有名で弁当の代名詞とも言えます。その起源は、松花堂昭乗の使っていた物入れ(箱)でありました。昭和の初め、料亭「吉兆」の創始者が八幡を訪れた際、昭乗遺愛の四つ切箱を見て、試行錯誤のうえ懐石料理を盛り付け、弁当として世に広めたのが「松花堂弁当」の始まりです。 松花堂(しょうかどう)京都府指定(国宝級)文化財 寛永の三筆のひとり松花堂昭乗が男山山中の坊内に建てた小方丈を松花堂という。 昭乗は、摂津堺に生まれ、兄が興福寺一乗院門跡尊勢に仕えたのに従い、奈良に移住し た。 昭乗は、はじめ御家流の書を、後に空海や定家の書を学び、滝本流といれる独特の書流を立て、近衛信尹・本阿弥光悦とともに寛永の三筆に数えられた。 晩年の 寛永14年(1637)昭乗は、弟子の乗淳に滝本坊を譲り、自身は里坊の泉坊の一隅に松花堂という小方丈を建て、そこに移り住み松花堂昭乗と名乗る。 昭乗は、絵画・和歌・茶の湯などにも精通した当代きっての文化人で、近衛信尋・尾張藩祖徳川義直・狩野山雪・小堀遠州・沢庵宗彭などとも親交があり、これらの人々が集う松花堂は寛永時代の文化サロンのひとつであった。 松花堂の建物の構造は、茅葺・宝形造、二畳の茶室には南に土間、西には水屋が配され、仏壇・床が設けられ、住居の性格をも合わせ持った茶室であり、京都府指(国宝級) 定文化財です。 泉坊書院・玄関は京都府登録文化財。 庭園の一部は、男山山腹の跡地とともに、国史跡指定。 松花堂庭園は、椿の園でも有名です。 3月中旬頃が椿の花のベストシーズンと考えています。 非常に珍しい椿の花も多くあり咲いている時期を選定しました。 今回は、寛永時代の文化と庭園の中に咲く椿の花を楽しんで下さい。 以 上 |