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VG槻輪
平成19年12月 活動予定

わがまち紹介
“芥川の自然と郷愁に誘われるまちの散策:真上地区”

背面は真如寺の正門です。
月    日 平成19年12月13日(木)
集 合 場 所 JR高槻駅 改札出口 13:00集合
順   路
JR高槻 → 西国街道 → 教宗寺 → 芥川城跡碑 → 門前橋 → 真如寺 → 笠森神社 → 緑ケ丘バス停 → JR高槻駅
そ の 他
一般参加者歓迎です。
名札をご持参下さい。

 真上の地名の由来は、平城京の遺跡から出土した木簡より奈良時代この地は白髪郷(シラカミゴウ又はシラカゴウ)と呼ばれていて、三島上郡白髪部里と記されている。
 やがて同じ音である真上(又は真神・万賀美)に変わり、930年に島上郡真上郷と記されています。
真上地区は、8世紀中葉の天平宝字6年(762)に時の文部大臣「石川年足」を葬った地として古代史に現れて以来、明治までその地域的なまとまりが殆どなかったという特殊的な地域です。
古代真上郷が荘園化した「真上庄」はすべて12世紀初頭の元永2年(1119)に 宇治平等院の領地として現れ、鎌倉時代には、芥川氏一族の真上氏が代官として住んでいた。
その庄域は後にはほぼそのままの大きさで江戸時代の真上村に変わっていったと言われている。

教宗寺<きょうそうじ>
 「神恵山教宗寺」は浄土真宗本願寺派(西本願寺)に属し、本尊は阿弥陀如来である。田淵久兵衛教宗が親鸞上人の弟子となって了専(リョウセン)と名のり、弘安10年(1287年)に自宅を寺院に改めたのが教宗寺の創始と伝えられている。
 現在本堂を改修中です。内部を見学をお願いしています。

真如寺<しんにょじ>
 芥川に掛かる門前橋を渡り右岸を川上に歩くと直ぐに民家から切り離されたように田んぼの景色が広がる。その先に見えるのが真如寺。土手の小さな道を降りると、低く連なる古びた土塀が目に入り郷愁に誘われる。
境内には「雲雀(ひばり)鳴く 中の拍子や 雉子(きじ)の声」という松尾芭蕉の句が刻まれた碑がある。

真如寺川<しんにょじがわ>
高槻市安岡寺町北部の丘陵に発し南流、安岡寺町と寺谷町の境を流れ浦堂地区を貫流し、西真上一丁目と二丁目の境で芥川左岸に注ぐ。別称「寺谷川」。

笠森神社
真如寺を出ると景色は現代に戻る。家屋・マンションの間を進むと、行き止まりの路地の奥に一見忘れられたように笠森神社の門が見える。近世には笠と瘡(皮 膚病)の訓読が通じることから病を治してくれる神社として信仰厚く、江戸谷中(やなか)の瘡守稲荷(かさのもりいなり)は同社から勧進(かんじん)され た。境内には本殿や拝殿、天照大神・大将軍など未社のほか、樹高20m余りの椋(むく)の巨木がある。また、かつて市内最古の欅(けやき)があったが、昭 和54年の台風により惜しくも倒れてしまった。  かつては稚武彦命(わかたけひこのみこと)と鴨別命(かものわけのみこと)が祀られていたと伝えられています。創建の年月はわかっていませんが、笠森神社の名は稚武彦命、鴨別命を祖先とする笠氏にちなんだもので、在地の領主、真上氏の崇敬が厚かったようです。
この笠森神社、江戸時代には笠森稲荷(かさのもりいなり)と呼ばれ、瘡(かさ=梅毒のこと)を治す霊験があるとされて、多くの人々の信仰を集めていたようです。「笠」と「瘡」は、ともに「かさ」と読むことから瘡毒平癒の神として信仰されたともいわれています。

以 上      

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