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VG槻輪
平成19年3月 活動予定

わがまち紹介
"高槻市の鎮守の森:上宮天満宮"

月    日 平成19年3月15日(木)
集 合 場 所 JR 高槻駅 改札出口 13:00集合
順   路 JR 高槻駅 →上宮天満宮
そ の 他 一般参加者は、会員に事前にお申し出下さい。
上宮天満宮では、天満宮の代表の森嘉和さんに説明して頂く予定です。
名札は必ずお持ち下さい。

上宮天満宮(じょうぐう てんまんぐう)、菅原道真(すがわらのみちざね、904年没)をまつる大宰府に次いで2番目につくられたという古い由緒を伝えています。
縁起によれば、道真の霊を鎮めるため、正暦4年(993)に九州・大宰府に赴いた天皇の使い(勅使)が、帰途この地で急に牛車が動かなくなる異変にあい、調べたところ菅原氏の祖先とされる野見宿弥(のみのすくね)ゆかりの地であることを知って、ここに道真をまつったのだといいます。
江戸時代には高槻城主永井直清が拝殿や石鳥居を建てたと伝えられます。
  JR高槻駅から石鳥居へつづく参道はかつて松並木が続き、天神の馬場と呼ばれていました 天正10年(1582)山崎合戦の際、秀吉が本陣をおいたといわれています。
天満宮の代表の森嘉和(もりよしかず)さんは、それまでのビジネスの経験を生かして、ひろい(4万平方メートルの敷地)手つかずの自然原生林、竹林に機械を導入に整備され、都心にありながらこころのよりどころとして再生されています。

境内には、多くの名跡が有ります。(上宮天満宮及び高槻市のホームページより)
天神馬場、 江戸時代には、お城の近くから幾丁も延々と続く参道「天神の松原」が、神社の坂道へと北上していたのです。
 当社、五月祭りの神輿巡幸には、お稚児を乗せる馬駆け行事もあり、また武士が実際に馬術修練をしたからでしょうか、この道は「天神馬場」と呼ばれていました。
昼神車塚古墳、神社への石段の登り口の東に昼神車塚古墳がある。
多数の埴輪が出土しており、さらに継体陵とされる今城塚古墳や宮内庁指定の継体陵である太田茶臼山古墳などの埴輪は同じ窯で作られたようで、土師氏が当地に滞在して古墳や埴輪作りに従事したようである。
野身神社、参道の石段を登り詰めるとすぐ右手に野見宿禰の塚と称される古墳の上に鎮座している。
菅公衣裳塚、太宰府へ流される途中、道真公の衣を埋めたーとされる所を示すささやかな碑があります。
道路を隔てた向側に、かつては其の塚とおぼしき土盛りもあったのですが。
(或いは四代目子孫の為理卿が、後に持ち帰った遺品の衣を埋納したのかもしれません) 山崎合戦秀吉本陣跡石碑 天正十年(四百年程前)本能寺の変で山城・近江を固めた明智勢を、まず天王山近くに討った山崎合戦ー秀吉は此の場所に本陣を構えて采配を振るったのです。
それを記念して小碑が立てられています。
従来社頭に建てられていましたが危険なため、境内神輿倉横に移転されました。
松浦武四郎巡拝記念碑 幕末にアイヌ民族を深く迫った探検家の松浦は、明治新政府に登用され蝦夷島を 北海道と名付けたりします。
しかし役人嫌いの彼は直ぐに退官して敬神活動の旅を重ねるー特に西日本の天満宮二十五社を選んで順拝し記念碑を建立。
太宰府に 次いで本社が二十四番目、最後の二十五番は京都北野天満宮で順拝スゴロクではこれで「上がり」となっています。

以上      

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