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古今東西 目次

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タイトル 内容 西暦年 備考
これがカメラ屋さん!!
“ライカ京都店”
「ライカ京都店にしかない物を」と言って買われる…… 2015 0041
城北公園で戦後70年のスタート 城北公園から私の戦後70年の歴史は始まった。忘れまい、伝えねばと思いつつ、…… 2015 0040
万博電気自動車の記事
2015年1月7日朝日新聞に載る"
40年50年は長いようで短いと感じますが皆様はいかがでしょうか? 2015 0039
"マフラーと帽子と手袋を編むのに12年かかりました" 今年も皆様の手元に沢山の年賀状が届いて、心暖まる思いでしょう。今年のデザインのひとつに"羊さん"がマフラーを首に巻いて編み針を持っているのがあります。出来あがりに12年かかりました。 2015 0038
昭和16年12月8日とは 8月15日
゛戦争になったから……
軍事体制になり、小学校も体育の時間は、兵隊さんの様に分列行進の練習等々……
男児は゜大きくなったら兵隊さんになる"と言っていました。
2014 12 0037
終戦(敗戦)の日 8月15日
天皇陛下のお言葉を家族や親族と共にラジオの前に正座して聞きました。
大阪環状線(以前は城東線)の森ノ宮〜京橋の沿線に砲弊工廠があり、 挺身隊として女学生も動員されて居ました。
2014 0036
今年は第一次世界大戦勃発から100年 多分若い世代には何の意味か解らないでしょう。
歴史として取り上げれば…と思っています。
東海道線で名古屋方面に向かう時、関ヶ原を通ると"天下分け目の合戦場"だった。
2014 0035
私の独り言
"8月15日"
お昼の12時、天皇陛下の玉音放送。昔の聞き取り難いラジオです
今、中東の紛争。小競り合い。
何故高等動物である筈の人間は野蛮なのだろう。
2014 0034
“心は青春 ”
私の6月の思い出
敵機B29から 焼夷弾が大阪方面落とされ焼かれて真っ黒な煙の空。
平和ボケの日本の今が恐ろしいですが平和は尊いです。
2014 0033
昔昔の電話の話 ”その10 交換手が点火しているランプの下のジャック(穴)にコードを挿し「何番へ」と言います。
明治23年、逓信省として発足した電話事業、その後電気通信省(昭和24年)、日本電信電話公社(昭和27年)、日本電信電話株式会社(NTT・昭和60年)と変遷し大発展をを遂げて今日に至っています。
2013 12 0032
昔昔の電話の話 ”その9 明治23年12月16日、日本の電話交換が開始された。
公衆電話は硬貨がないと使えません。そこで登場したのが「信用式公衆電話」なるものでした。
2013 10 0031
昔昔の電話の話 ”その7 電話は明治9年(1976)アメリカの、アレキサンダー・グラハム・ベルによって発明されました。
その1年後、明治10年11月、早くも日本に輸入されました。
2013 10 0029
昔昔の電話の話 ”その6 昭和27年には電話事業は電気通信省から電信電話公社になりました。
昭和38年には東京、名古屋間で始めてダイヤル通話・・・
2013  9 0028
昔昔の電話の話 ”その5 アメリカ軍の進駐がはじまり、始めて見る青い目、金髪の男性にびっくりしました。
空襲、宿直だった10数名の社員は監督さんの指示のもと、木造棟から機械棟へすべての書類、必需品などを運びこみました。・・・・
2013  8 0027
昔昔の電話の話 ”その4 電話事業は大事な国の基幹産業であり、戦争にも欠かせない事業でした。
始めてアメリカの人から依頼されて接続したときは私の英語でも通じた!という喜びでとてもうれしかったのを覚えています。
2013  7 0026
昔昔の電話の話 ”その3 主事以外は全員女性で後に、大奥とか,女護が島などと揶揄されたものです。
先輩方は非常に家族的で、厳しい面もあるが優しく、私の青春の楽しい一時期でした。
2013  7 0026
昔昔の電話の話 ”その2 通勤着は着物に袴姿・・・
少女歌劇のスターのように袴を少し短めに穿き、白い足袋で足首を
2013  7 0025
昔昔の電話の話 ”その1 手動式の電話・・・ブレスレットを着けた交換手者が接続する
交換手が「お繋ぎしますから、5銭、お入れください」と言ってお金の投入音を確認して接続しました。
2013  7 0024
「フルシチョフの良心」の記事に同じ気持 2010.8.29産経新聞
当時「聖戦」を信じて戦った人を・・・・
2010  8 0023
“ 戦後65年 ” 毎日が終戦記念日、特にこの時期(8月)は、
戦時中の出来事が走馬燈の様に浮かんできます。
2010  8 0022
“太平洋戦争と私たち の青春” お国のためと信じて過ごした年月を私は尊いものだったと思っています。 2010  4 0021
“昭和二十年の春” 卒業の三月卒業式も挙行されず・・・ 2010  3 0020
“予科練” 若い血汐の予科練の七つボタンは・・・ 2010  2 0019
“旗行列”“提灯行列 ” わが子らに いくさのむごさ 心より 伝えておきたし 初日に誓う” 2010  1 0018
“12月8日” 米・英と戦闘状態に入れり・・・ 2009 12 0017
“舞鶴の港 [戦中戦後]” 岸壁の母 2009 11 0016
“薩摩芋(さつまいも)南爪かぼちゃ” 代用食の想い出が深くって 2009 10 0015
“集団疎開児童” 平和である事を心より念じます。 2009 0014
“戦中戦後を生かされている今” ”銃後の良い子” ”欲しがりません勝つまでは” 2009 0013
“ 戦後60余 ” 語り継がねば!! 2009 0012
“ 7月は動、 8月は静 !! ” 日本の伝統文化として永遠に 2008 0011
“ いま 語り伝えたい ” あの戦争の無惨さを・・・ 2007 0010
63年ぶり・恩師の消息がわかる!! 嬉しさに涙がポロポロ・・・ 2007 1 0009
食欲の秋です 筋トレ ダイエットしませんか〜〜〜 2006 0009
特効隊員の遺書 私は涙をいっぱいいっぱい流しました。 2006 0008
戦後61年 遠ざかる記憶' 戦時下の体験者より生の声を送る! 2006 0007
あの終戦日が来ます
いつまでも平和を願う !!
昭和20年の初夏の大阪の大空襲
B29の爆音は今も耳に残っています
2006 0006
'95.1.17 阪神・淡路大震災を忘れない!! 阪神・淡路大震災記念「人と防災未来センター」を訪ねて 2006 0005
バス停での出来ごと はやく”子ども・老人や身障者にも優しい 福祉国家にしましょう” 2006 0004
青春とはある期間を言うのでなく・・・ 青  春
原作 サミエル・ウルマン、邦訳 岡田 義夫
2006 0003
原爆記念日に思う 被爆50周年有感
60周年に当り見直して
2005 0002
花粉症 対策は良いか!30年ぶりの大花粉発生20050001

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