古今東西
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“心は青春 ”
私の6月の思い出


昭和20年、私は小学校の六年生。
大阪府の近鉄久宝寺口(八尾)に住んで居ました。
6月の1日、3日、5日の奇数日大空襲、警戒警報のサイレンが鳴ると下級生の手を繋いで下校。
途中で空襲警報のサイレン。
走って帰り防空壕に入りました。
敵機B29から 焼夷弾が大阪方面落とされ焼かれて真っ黒な煙の空。
親子焼夷弾が、空中で炸裂、花火(不謹慎ですね)の様でした。
焼け出され人々が近鉄の線路を歩いて大和方面に歩いて行かれる。
焼夷弾が、落とされ焼かれて空は真っ赤。
翌日は六年生の卒業で五年生は出席でしたがどうしても出来ませんでした。
戦災の事を体験したのは私達の世代が最後。
友人のお父様も私の従兄弟達も戦死しました。
原爆の被害の他にも沢山の人々が犠牲になっています。
平和ボケの日本の今が恐ろしいですが平和は尊いです。
私のつぶやきです。

2014年7月2日    

記 山本矩子   

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