古今東西
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“ 昔昔の電話の話 ”
その3

 大阪中央電話局南分局、運用課は課長1名(男性)、主事3名(男性)、監督部長1名(女性)、監督6〜7名(女性)部長10数名(女性)部員(全員女性)からなっており、総数約200数十名でしたでしょうか。課長、主事以外は全員女性で後に、大奥とか,女護が島などと揶揄されたものです。部長には勤続4〜5年でなれます。というのは当時は早く結婚したし、結婚すればほとんど退社しましたから、新陳代謝が進むのです。さすがに監督にはなかなかなれません。監督さんは独身の人が多く辞める人がすくなかったのです。
 当時は1年先輩は、非常に力があり年功序列ははっきりしていました。
 運用課の女性全員には取扱者番号と言うのがあり、監督部長さんは「1番」で、普通私たちは「1番さん」と言って崇め、恐れていました。大抵50歳過ぎた女性でした。
部長は普通の会社の部長さんと違って、運用課に4つの部があり、一つの部に部長が数人いてそれぞれ何人かの部下をもって、その監督指導に当たるのです。
私たちにとって部長さんは割合親しい関係でしたが、監督さん、監督部長さんとなれば雲の上の存在と言うか、こちらから言葉はかけられませんでした。私たちはそんな監督さんたちに、よくあだ名をつけていました。いわく、「張子の虎」「冷蔵庫」「男女の川」など理由は言わずとも、お解かりかと。
 私は入局2.3年の頃、あまり素行のよくない友達の真似をして、仕事に身の入らない時期がありました。それをいち早く察知して一人の部長さんが手紙をくださいました。そこには私を思いやる温かい言葉があふれ、また厳しい指摘もあり、私ははっと眼が覚めた思いがして自分の過ちに気づきました。それからは乱れていた自分の考え方を改め,まじめに仕事をするようになりました。今も覚えているほど感銘を受け、ありがたく思ったのに私はその部長さんにどんな返事をし、お礼を言ったのか覚えていません。その後その部長さんは何事もなかったように、私に接してくださいました。これは一つの例で、先輩方は非常に家族的で、厳しい面もあるが優しく、私の青春の楽しい一時期でした。先輩の教えはその後、私が部下をもつようになったときの、何よりの教えになりました。監督さんにはあだ名をつけましたが、部長さんにはあまりそんな記憶はありません。
 部長さんの中には颯爽としてきびきびと動き回り、いつも笑顔の絶えない素敵な人がおられ、みんなで憧れ噂をしあったものです。
      2013年8月3日
記 牧戸富美子   

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