古今東西
目次へ


「フルシチョフの良心」の記事
に同じ気持ちです。
2010.8.29産経新聞

 1956年2月、第20回ソ連共産党大会でフルシチョフ第1書記は激しい調子でスターリン批判を行った。すると代議員席から「スターリン時代、お前は何をしていたんだ」とやじられた。フルシチョフはすかさず「今のは誰だ」と怒鳴る。やじった本人は黙って下を向いてしまった。フルシチョフは「私はスターリン時代、今、やじった男のようにしていたのです」と語ったという。
 
・・・・中略・・・・・  
 
  もう1つは、当時を知る多くの人が、「戦争に駆り出された」「拒否できなかった」「いやいやだった」とインタビューなどで答えていることである。もちろん、そういう人もいるだろう。それでも、こう口をそろえられてしまうと、そう言わされているのではないか、あるいは、そう言う人ばかりを集めたのではないか、とさえ考えてしまう。出征した人の多くは「国のため」「家族のため」「愛する人のため」「アジア解放のため」に、苦労を承知のうえで勇んで戦地に赴いたのである。  それを「騙(だま)されていたのだ」という人も多いが、それなら、現代のわれわれも誰かに騙されていないといえるのか。  戦後、「実は私は戦争反対だった」といい子になる人はどこにでもいる。しかし、それは、当時「聖戦」を信じて戦った人を侮辱することにならないだろうか。自身は安全地帯に身を置いて、後付けの議論で過去を断罪することは誰にでもできる。われわれはせめてフルシチョフなみの良心をもちたい。(編集委員 大野敏明)



私たちの気持ちは、「太平洋戦争と私たちの青春」大阪むつみ会編で記載しています。

文責 牧戸 富美子


このページの先頭へ戻る