古今東西
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“ 予科練 ”

 筆者の身内が茨城県南部に住んでいます。 東京の上野から常磐線で約40分程の所です。
ある日、身内の所に参りました時、足を伸ばして常磐線で土浦まで行きました。そこには霞ヶ浦湖があります。この地名を聞くと土浦海軍航空隊。海軍予科練習所があった事を想い出します。
 "若い血汐の予科練の七つボタンは桜に錨、今日も行く行く霞ヶ浦にゃでっかい希望の夢が涌く" 予科練の歌です。
この七つボタンと希望を持って戦時中の少年達は予科練に入隊し、やがて特別攻撃隊=特攻隊員として知覧から戦地に向いました。
 筆者は終戦時小学校6年生でしたが男子児童は、「予科練に行くのだ!!」と叫ぶ様に言っていました。
先生方は戦地に向かう兵隊さん達は家族にも友人にも「行きます。!!」の挨拶だ。
「行って来ます。」は必ず帰ることの意味がある。
「行きます。」は、帰らない意味がある。

と小学校(当時は国民学校と言っていました)の先生はおっしゃっていました。この世に 生を受けて僅か十数年の生命を戦さの為に散って行きました。
 尊い尊い犠牲!!
 お陰で私達は生きています。
 生命を大事にしましょう。



文責 山本 矩子               

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