古今東西
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“ 集団疎開児童 ”
9月中旬、空は秋の空。秋に咲く彼岸花(曼珠沙華=何故か毒花とも言われています)の赤。
この季節になると毎年、私の心に深く残っている出来事があります。
昭和20年縁故疎開で日本海に面した越後の町におりました。
私はその時小学校6年生でした。
同じ町に東京から集団疎開して来ていた4年生から6年生の児童達がいました。町のお寺や旅館に先生と共に集団で暮らしていました。
雪国の越後の夏休みは8月20日で終わります。(他と比べて雪の降る冬休みは長いのです。
)
夏は静かな日本海も秋冬と波が高く、空は一面、なまり色の雲におおわれます。そろそろ9月の中旬から冬のきざしが見えてきます。
それこそ、さみしい季節です。
終戦から1ヶ月余り集団疎開の友達は東京に帰る日を待ちわびていました。
必ず帰れる事が解っていても、きっと一日が長く感じていた事でしょう。
ある日、集団疎開の4年生の児童が生活している場所から一人居なくなりました。
今のように各家庭に電話も無く付き添いの先生や町中の人が大慌てで、あちこち探し回りました。
ようやく見つかったのは、浜辺の町から1里(約4Km)離れたローカル線の汽車の駅でした。
東京の親元に帰りたい一心で一時間以上も歩いたのです。町中がほっとした反面、児童の気持ちをおしはかり泣きました。
11月に入り、やっと東京に帰える疎開児の友達を見送りに皆駅まで行きました。
辛い思いをした事は、二度と繰り返してほしくありません。
平和である事を心より念じます。
文責 山本 矩子
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