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63年ぶり・恩師の消息がわかる!!

ある日(平成19年5月1日)夕方に突然、、山口県の綿田様から電話を頂きました。
VG槻輪のホームページ「古今東西」に出ている記事が父の話しではないかと思うので、
原稿作成者と連絡とれるでしょうかと、・・・
綿田様のお話を聞くと、原稿作成者の話と会うようですが、
原稿作成者は結婚して姓が変わっているとこともあるので、
とりあえず原稿作成者の連絡先をお知らせする一方、
原稿作成者に、貴女の探している先生が84才で健在なようですから
お互いに連絡をして欲しい事を双方に伝えました。
約3時間後に、原稿作成者から探していた先生と連絡がとれたと嬉しい連絡を頂きました。

連休明けになりました。
連休の疲れでビジネスマンも先生も生徒もボーツとしおられると思います。
先日(5月1日)、私の小学校の頃の先生の消息が 解り綿田さんから早速お電話頂きました。
大岡様から植木谷先生の電話番号をお知らせ頂いていたので早々お電話致しました。
先生が電話に出て下さり、私のことをしっかり覚えていて下さいました。
旧姓が磯野であり而も矩子と言う字も余り見かけませんのできっと覚えていてくだすったのだと思います。
「ピアノを習っていたでしょう」とか「体操の時間にマットのデングリカエシが出来なかったネ」とか・・・。
きっと教師になられて初めての担任の生徒だったのでしょうか、
それとも私がやっぱりキャビキャビして目立つ子だったのでしょうか・・・。

私は長い長い手紙を書き本日(7日)ポストに入れました。
午前中外出してまして、2時過ぎに帰宅したらポストに綿田様よりお手紙を頂き、
なんとその中にお孫さんに囲まれて嬉しそうにしてらっしゃる
先生の写真が同封されていました。
しっかり昔の面影があり余りの嬉しさに涙がポロポロ・・・。
お金をためて柳井まで必ず行こうと思っています。
近鉄の久宝寺に私は住んで居りまして、当時は中河内郡八尾町でした、
小学校は八尾町立尋常高等小学校に昭和15年入学して、20年6月迄在籍して、
新潟県に疎開しました。

昨年(平成18年)の終戦記念日に先生のことを思いだしながら原稿を作成したしだいです。
今回インターネットの良き効果を改めて驚き関心したしだいです。

 N.Y         

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