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初旅は名所巡りとグルメと名湯を楽しむ
<その二>
信州より仙石家が出石に蕎麦文化を呼んだ


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 豊岡市内から自動車で約30分、市内ながら全く別文化を持つ但馬の小京都と言われる出石町がある。1706年信州より国替えとなった仙石家の居城は山の上にあったが、後に平地の出石城を造った。
明治4年の廃藩置県により出石県、豊岡県を経て、兵庫県に編入。
その城も明治政府による廃城命令で今はなく、城跡公園の近くに、ガイドブックで良く紹介される辰鼓楼がある。
明治4年より街の時計台としてその四代目が今も時を刻む。
近くに家老屋敷を再現し、当時の大名行列の道具や不意の襲撃に備えた隠し二階の構造を見ることが出来る。
町内には近畿最古の芝居小屋(明治34年創建)「永楽館」が当時のままに復元されており、地域の人達の造詣の深さを感じた。
去年も片岡愛之助の公演がこちらで催された。
 出石と言えば全国から蕎麦ファンがやってくる町である。
私達が着いたのはちょうど昼時、そば店の店先に列をなしている。
町内には約50軒あるらしいが、正月明けで休んでいる店が多く、心配したが、老舗が開いていた。
注文は勿論、皿そば。
小皿に入った美味しそうな蕎麦5皿に玉子と薬味に程よい濃さのつけ汁で、あっという間にいただく。
主人は2皿追加。
食後、街を散策、気が付けば昼時ソバ店に並んでいた人達はどこへ行ったのか、街中は閑散としていた。
 豊岡から一路、天橋立へドライブ、早速モノレールで展望スポットへのぼり、古来より絶景を眺めるスタイルの股覗きで飛龍観を見る。
約3.6kmの天橋立は昔と変わりない事をたしかめただけで、麓にある智恩寺は904年創建の日本三文珠の一つ、この歳にしてさらに智恵を授かるよう参拝した。
多宝塔は室町時代の建造物で国の重要文化財というから有難い。
 その夜は湯の町カニ料理の町「城崎」に宿をとる。
約1400年前にコウノトリが傷を癒していたと伝わる湯の町は最近浴衣姿で街中を湯めぐりで散策するする姿がインスタ映えすることで、人気がでている。
だが我が孫とその友達は旅館内のゲームとカラオケに興じていた。
まあ目の届く範囲で行動しているので安心かと大人は気持ちよく床に入った。
 正月明けの二日間、雪を心配した計画だったが一片も雪らしい景色は見ない楽な旅だった。
まだまだ回り切れなかった玄武洞、竹田城、舞鶴、伊根...に思いを残してJR高槻に向かった。

2020年1月8日    
上村 サト子    


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