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初旅は名所巡りとグルメと名湯を楽しむ
<その一>
コウノトリが豊岡の名を持ってきた


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 令和二年の初旅は北近畿の豊岡〜天橋立〜城崎である。
まず豊岡を紹介しましょう.
コウノトリをデザインした駅舎の近くでレンターカーをし、手始めに「カバンの豊岡」の一店に立ち寄った。
すれ違った市バスは車体全体にカバンの絵が描かれている。
次が「コウノトリの郷公園」である。
1955年保護運動展開、2組4羽から始まったコウノトリが今では約180羽、8羽が園内で飼育されて、放鳥された中、韓国にも渡った記録がある。
周辺の住民の薬剤制限や湿地帯の保護などたゆまぬ努力に他ならない。
郷公園では園内の8羽の為に、10時に餌を撒かれるので、近辺で生活するコウノトリもおこぼれにあやかろうと里帰りするから、良い写真が撮れますよと、古い茶店のおじいさんが教えてくれた。
10時に来るとはちょっと無理か。
グルメ1号、ここのおばあさんが作るあごだし汁の卵うどんがほっこりと体の芯から温めてくれた。
 豊岡の郊外にある沢庵寺は正式な名は宗鏡寺(すきょうじ)、1392年山名氏により開祖、山陰随一の伽藍を誇っていたが、信長による平定で荒廃、後に三代将軍家光の近侍した沢庵和尚が1616年、廃寺近くになっていた当寺を再興させた。
その時に出した大根貯え漬けを家光が喜び、「たくわん」と名付けたと伝わる。
今も地元の小学生と冬に沢庵づくりが行事になっている。
現代の黄色い沢庵ではなかった筈。
この寺は山全体が庭か境内か判らぬほど広く、立派である。
和尚は作庭の名士でもあり、鶴亀の庭、夢見の鐘、秀吉の家来の志野侘助が朝鮮から持ち帰った椿の侘助の原木がある。
豊岡市出石の城主だった仙石家の菩提寺でもあり、和尚の死後、慕われて江戸より故郷である当寺に墓所が作られた。
今も墓石が静かに出石を見守っている。

2020年1月8日    
上村 サト子    


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