約15年前に訪れた台湾に再び旅行することになった。
前回はバスで台湾をほとんど一周した時は道路が整備されていない辺鄙な所を走って、やっとたどり着いたガソリンスタンドが閉鎖されていて困ったのを憶えている。
今の台湾はすっかり都会的になっていた。今回は台湾の中央部の2〜3000mの高地を巡るツアーで日本なら上高地辺りを散策するようなもので、20度前後で涼しいらしい。
関空から3時間半とは日本より一番近くて、一番安全な外国かもしれない。予定通り台南空港に着いた私達を迎えたのは日本にも留学したことのある現地の女性で日本語も堪能でガイド歴も長そうで頼もしい女性だった。
まずは「月世界」見物。その名の通り、月面を髣髴とさせる地形。長い年月、雨と河の水によって浸食され、岩の上に泥や砂が堆積し、地殻変動や風化沈積を繰り返し出来た姿という。
その夜泊る関子嶺の露天温泉は月世界の泥を引き込んで、泥パックの美肌効果が売り物だったが、雨が少なく泥がなくて、プールは閉めてあり期待外れだった。他の効能のある露天風呂巡りと室内温泉は殆ど日本と同じく気持ちの良いものだった。
二日目の珍しい所は北回帰線標塔です。巾広い道路に掛かる橋に大きく表示があります。橋のたもとを行き来することで熱帯と亜熱帯を渡ったことになる。「1923年日本裕仁皇太子来台」と案内板に中国語で書いてある(後の昭和天皇)。このツアーの売り物は阿里山高地の散策と二回の日の出観賞である。年間の平均気温が15度という快適な地域で阿里山森林遊楽区として整備され、巨木群の中で森林浴を十分楽しめる。日の出観賞1度目は朝日が昇る時間に合わせて二往復しかしない登山列車を利用して、防寒具着用で3時半ホテル出発である。この登山列車はヒノキ搬出の為、1905年、東京大学の河合教授が設計、6年掛かって開通したものを現在は日の出観賞客の為だけに運転されている。祝山の暗黒の山頂駅に着いた後、次第に開けてくると名物の一つ、見事な雲海が広がっている。対面の稜線の最高峰が玉山(新高山)3952mである。日本統治時代、富士山より高く、日本一高いとされていた。昭和15年12月8日真珠湾攻撃の際の日本海軍の暗号が「ニイタカヤマノボレ」だった。因みに映画の題名にもなった「トラトラトラ」は「真珠湾攻撃ワレ成功セリ」。この日は少しの雲に邪魔されて日の出が見れない。後ろ髪を引かれる思いで、下山列車の予約時間に急かされて乗車。窓から樹林の中に神々しく輝く太陽を見て感激した。翌日約3000mの大雪山系の一部からまさに生命の起源を感じる日の出を見ることが出来て満足した。
四日目の観光地は西遊記のモデルになった玄奘三蔵法師の遺骨を祀る玄奘寺である。この遺骨は日本統治時代、何故か長野県のどこかに持ち込まれていたが、国交友好の条約が交わされ、台湾のこの地にもどされた。山門から想像して、こんなに大きなお寺とは思えなかったが、境内にあるエレベーターで最上部に行くといくつもの塔頭が立ち並び、眼下に台湾一の高さで最高美観とされる日月潭湖が広がっている。
いよいよ帰国路につくため、新幹線台中駅に向かう。2005年11月開通で、まだまだ車体にフレッシュ感がある。
私たち夫婦合わせて163歳、旅行にはいつまでもフレッシュ感を持ちたいものだ。 再見(サイチェン)台湾!
2019年8月26日
上村サト子
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