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内子町から江戸時代にタイムスリップ


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 愛媛県内子町は松山から約40キロ南に下がった所にあって、江戸時代から明治・大正と栄えた名残りの街並みを見ることができます。
重要伝統的建造物保存地区として、豪商や町家等が南北600mに及んで立ち並んでいます。一番に栄えたのは蝋燭(木蝋)の製造・販売で栄えた街でその本家・分家・小分家が主になり、和ろうそく屋、和服屋、和菓子屋、染物屋、どぶろく酒店などの旧商家や大正時代から続く映画館(現在イベント時だけ開館)や劇場などです。今も昔ながらのなまこ壁を残した商家は資料館になったり、宿舎や食事処になって、街中が街おこしに努力していることに感激しました。私達が泊ったのも内子町保存地区にある商家の古民家を外壁と梁を残し、内装はすっかりモダンに内装し直した建物でした。ベッド、桧風呂、洋式風呂、ダイニングキッチン、ハンモックコーナー、中二階の憩いのスペースなど我が家に取り入れたいアィディアばかりの一棟を5人家族で貸し切りました。贅沢な空間と設備と心づくし接待を堪能しました。
 私が随分前から内子町に行きたかったのは大正五年より続く純和風木造劇場を見たかったからです。当時木蝋や生糸などで栄えた良き時代で金持ちの出資により創立し、金持ちも庶民も芸術、芸能を愛したらしいです。一時期老朽化の為、取り壊しになる所を町民の熱意で復元され、今も現役で文化活動の拠点になっています。2017年には勘九郎と七之助の本格的歌舞伎特別公演が催されたそうです。公演がないときは見学可能です。私達も桝席から舞台に上がり、役者の気分になったり、奈落に居りて、人力で動かす回り舞台の仕掛けを見せてもらいました。どうして「奈落」の言葉に、人生のどん底のようなイメージが出来たのでしょう。むしろ芸術の源でした。
 内子町にはもう一人大物がいます。「ビール王」と呼ばれた高橋隆太郎氏です。同氏は大日本ビール(アサヒビール、サッポロビールの前進会社)の社長であり、通産大臣、球団オーナー、サッカー協会会長も務めた経済界の重鎮でした。同氏の生家が資料館と素晴らしい宿泊施設になっているようで、見学する時間がなく残念でした。帰路、大洲市(おおずし)の手漉き和紙の工場に立ち寄りましたが、今では一社だけが操業していました。外国からも技術を学びに来ているとの記事を読んだことはありますが、中年のおばちゃんたちが黙々と大きな和紙を漉いておられるだけでした。絶えず手を水につけ、紙液の入った重い桁を持ち上げるのは大変な重労働です。倉庫に乾燥した楮(こうぞ)が沢山積み上げてありましたが、現在ほとんど輸入だそうです。大洲市の中心部に大洲城や武家屋敷や風雅な庭園など、出身者に中江藤樹、日商岩井(現在双日)の創始者高畑誠一氏を輩出した町でもあり、伊予の小京都と呼ばれるだけの歴史と経済と芸能を生み出した魅力ある風土がここにもありました。

2019年8月2日    
上村サト子    


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