都内の名だたる文京区一角でタクシーの運転手に鳩山会館音羽通りの門扉の所で結構ですというと、あの坂道が大変と言って、会館玄関前まで車をつけて下さった。
その通り、1メーターを上がるほど長くきつい坂道だった。
そこには、政治理念と活動の賛否論は別にして、鳩山一族の四代にわたる政治・教育の表舞台に立った重厚でクラシックな建物があった。
この洋館が建てられたのは関東大震災の翌年大正13年で、のちに内閣総理大臣を務めた鳩山一郎氏ともと共立女子学園理事長の薫氏の住居です。建築は当時の設計第一人者岡田信一郎氏とステンドグラス専門家小川三知氏によるものです。鳩や五重の塔などをデザインに取り込んだステンドグラス、美しいバラや山野の草木に取り囲まれ、屋根には大きな梟の彫像が世の中を見渡しているような大正ロマンの薫る建物です。
戦災で被弾した部分を補修したこともあるが、永年の傷みに耐えた名建築を建築当初の趣を残すよう、平成5年から3年掛けて本格的に修復された。平成8年に記念館を兼ねて一般公開されました。大広間は懇親会や披露宴や展示会などに貸し出しもされているそうです。
さぞかし華麗な一族と有名一流人の交流の場所であっただろうと思いながら、最初の鳩山と表札のある門扉に向けて歩いて下った。
2019年7月16日
上村サト子
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