海男の鯨のお話
施設で文化祭が催され、その出品の中に、鯨と捕鯨船の写真や鯨の歯に彫刻したものが展示されていました。 出品された方は長田昭二さんとおっしゃる91歳の方です。私は海の男の鯨を追う勇ましい姿を、昔読んだ「白鯨」のエイハブ船長と重ね合わせ、その方のお話を聞いてみたいと思いました。長田さんにその話をして、みんなの前でお話を聞くことになりました。 捕鯨は船団を組んで行います。時期は10月から約6か月間、人員は約250名。母船のほかに、捕鯨船、タンカー、冷凍船、などを率いています。当時南氷洋には鯨がたくさんいて、5年間に500頭もの鯨(白長須鯨,長須鯨、イワシ鯨、抹香鯨など)を捕獲されたということです。捕鯨船は母船の統率の元、一丸となって捕鯨を行ます。いろいろ面白いお話がありました。 砲手が銛を打って鯨を仕留めるのですが、一発で心臓を仕留めてしまうのは下手な砲手なのだそうです。なぜかというと、一発で仕留めると鯨は海の底に沈んでしまい、引き上げるのに苦労するのだそうです。鯨にとっては可哀想な話ですが、そんなことにも砲手の腕の見せ所があるのです。 長田さんが「鯨を呼ぶ男」と言われたのは、鯨の探索をするのに、水温や海鳥の状況を観察しプランクトンのたくさんいる場所を見つける、その場所は暖かい水と冷たい水の交わるところでそこに鯨が集まってくるのです。その観察と判断の確かさから外国の人にも「鯨を呼ぶ男」と言われたのだそうです。 30年間の務めを終えたのち、旧ソ連の捕鯨母船ウクライナ号に乗船し監視オブザーバーの仕事を経験されました。鯨をたくさん取り過ぎて絶滅しそうになるなどしたので捕鯨条約ができ捕獲量の制限が行われ、それを監視するための監視員なのです。 また鯨の歯で作った印鑑を見せてもらいました。見かけよりずっしりと重く、歯の繊維のようなものも見えていて象牙より貴重そうな感じがしました。 長い遠洋航海の間、、留守を守り、お子様を育て上げられた奥様は残念ながら昨年亡くなられたそうです。入居所されていたホームへ毎週通い、ずっと手を握ってお話されていたんだそうです。最後は自宅で長田さんや二人の娘さんに看取られ、「お父さん、ありがとう」と言って亡くなられました。 2018年12月16日 |