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日本の秋といえば・・・


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 テレビ番組のように、外国人にYou何しに日本へ?と問えば紅葉の美しさを求めてきたと答える人が多いと思う。私達は当たり前のようだが、秋の美しさの中で生活できるのは本当に幸せを感じる。この景色が古来より文学・建築・絵画などに影響したことは計り知れない。何度訪ねても日本の良さを感じさせてくれる石山寺と三井寺に行ってみた。11月12日、新聞ではモミジマーク一つで紅葉には少し早かったが、歴史にまつわる建物の重厚さは見事だし、観光客が多くなかったのがさらに印象を良くした。
まずJR石山駅から京阪バスに乗って石山寺に着き、運慶・湛慶の作と言われる仁王像の立つ東大門をくぐる。境内を少し行くと石山寺の由来にもなっている「硅灰石(けいかいせき)」が地上に露出した奇岩がある。穴をくぐると願い事が叶うというパワースポットである。勿論私もくぐって願い事をした。願いは多すぎたかな・・・。本堂は滋賀県下最古の木造で国宝である。建物の足元を見ると、斜面の急な岩盤に高い柱を多数立てて床を支えている。懸崖造りと言う。「硅灰石」は地中から突出した石灰岩と花崗岩が接触し、その熱作用により変質した岩石の事らしいが、それより千年以上狂いもなく火災にも合わず、強固に耐えた建築の技術に感心する。石山寺と言えば紫式部が源氏物語を草稿した所で、本堂横の合いの間に執筆中の紫式部像が安置されている。敷地内の建物で式部展をやっていたが、他に国宝級の建物に目をうばわれ、見逃がしてしまった。
 石山寺から三井寺に行くには京阪石山坂本線の石山寺駅を利用する。この駅の周辺には住宅がありながら無人駅でかわいい緑色の二両編成が来る。三井寺の起源は生前、天智天皇が祈願していたが果たせず、息子の大友皇子も壬申の乱で亡くなり、その子が父の菩提を弔うため、自分の敷地と建物「園城(おんじょう)」を寄進したので「園城寺(おんじょうじ)」と言ったが、この寺で湧く霊泉を天智・天武・持統天皇の三代の天皇の産湯に使われた事から「御井(みい)の寺」転じて「三井寺」と呼ばれるようになった。境内に「閼伽井屋(あかいや)」と呼ばれる小堂があり、その中に今もその産湯に使われた霊泉が湧き出し、頭上の彫り込は左甚五郎の作と伝えられている。三井寺には「三井晩鐘」の鐘の音は子供心に覚えている。NHK紅白歌合戦の後の日本各地を回った大晦日の夜の余韻を残す音色である。今はひと撞き3百円、ここも撞く間に願い事をすると願いが叶うと書いてあるが私の力では音もならないかもしれないので断念した。他に弁慶の梵鐘と言うのがある。弁慶がこの鐘を三井寺から比叡山に奪ったものの鐘が帰りたいと言うので、怒って谷底へ投げ棄て、破れ鐘になったという。その後撞かれたことがないので音色は判らぬらしい。よくぞ戦時中の供出に逢わなかったものだ。この二寺は古くから観音霊場として信仰が厚く、貴人・文人・権力人などが訪れているし、都から近い景勝地として官女もよく訪れ、「更級日記」や「和泉式部日記」にも書かれているとの事だ。
この日は日本の代表的な文化財の二寺をまわり、多様な建築の豊かさに触れた。さぞかし人民の心・宗教・権力・戦火・火災・資材などなどの問題の中、耐えて私達に文化という大きい財産を残してくれたと改めて実感した。生きている一人一人は小さいものながら、大きい力になり得るものだと思う。源氏物語には会員のMさんが造詣深く、先月のわがまち紹介で久しぶりにお会いできてうれしかった。街と人、人と人を繋ぐのが「わがまち紹介」、これからも出来る限り参加しよう。そだね〜とみなさんも参加をして。

2018年12月3日    
山田 昭子、上村サト子    

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