会員だより目次へ戻る(その 3/4)次の便り


江戸・明治・大正・昭和の
セレブの文化を巡って
(その 4/4)
その四 六義園と元小石川植物園

 建築文化に十分接したので、次は自然を取り入れた庭園文化を紹介しよう。
六義園入り口
まずは駒込駅から南側すぐの六義園(りくぎえん)である。江戸中期の幕府老中・柳沢吉保が和歌の趣味を基調に築園した大名庭園で、池を巡る園路を歩きながら移り変わる景色を楽しめる。
池の中には大きな島を造り、標高35mの人工的に築山をし、紀州にある同名の藤代峠と称されている所がある。
その頂上から今の近代的東京近辺が見渡せて、殿様気分である。
 明治に入って、三菱の創業者・岩崎弥太郎が買い取り自分の別邸と庭園としたが現在別邸はなく、池を巡る広大な都民の日本庭園になっている。
六義園35mの築山より見た市街
岩崎家は創業以来、船体製作業や航海業で巨万の富を得て、資産は日本経済の数分の一とも言われた財閥。第二次大戦前の昭和13年、軍需産業盛んな頃、東京市(現在東京都)に寄付されたと言うから、政商もさらに名を挙げた事であろう。
< こちらもGHQの財閥解体にあったが戦後も三菱の名を各方面に残した。現在六義園は国の特別名勝に指定され、東京近辺の人の憩いの場になっている。
 今回のセレブ巡りの最後は文京区、東京駅より交通機関で30分位だったか、元小石川植物園(現在東京大学付属植物園)である。なぜここを訪れたかと言うと約20年前玉三郎・吉永小百合の「外科室」という映画の舞台となったからだ。特に美しい植物園でも素晴らしいストーリーでもなかったが、私にとって東京内の数少ない地名のひとつであったからだ。映画の中に貴婦人や誇り高そうな最高の医師グループが出てきた。映画に出てきた手術室は旧東京医学校本館で重文にしていされているが、入館できず残念であった。

東京大学院付属植物園
この植物園は約300年前徳川幕府が「小石川薬草園」として設置されたというから、庶民の入れぬ特権階級のための場所であった。水戸藩の江戸上屋敷跡で、広い植物園に大名庭園地域が残っている。それより私には数十年前に理科(当時はすべて理科)の授業で習った遺伝について「メタセコイヤ」「精子発見のイチョウ」「メンデルの葡萄」「ニュートンのリンゴの木」の記憶が残っている。その遺伝を引き継いだ挿し木や接ぎ木が大きく成長して、面々と長い説明文の看板が添えられている。さすが大学中の大学のセレブ、歴史と知的財産と経済的援助・・・。
 私までひと時のものしりになったがすぐに忘れそうで長い報告になり、読者に申し訳ないが、自分の為にもここに書き留めた。
セレブであれ、庶民であれ、今日一日無事を願う。(了)

2018年4月29日    
上村 サト子    

動画もお楽しみ下さい。
ここをクリッキして下さい。
このページの先頭へ戻る