会員だより目次へ戻る(その 1/4)次に(その 3/4)

江戸・明治・大正・昭和の
セレブの文化を巡って
(その 2/4)
旧古河邸と庭園
旧古河邸ー黒い安山岩外壁と
広い芝生広場にヨーロッパ風
 東京には戦前のセレブの生活を垣間見る所があちこちにある。次に駒込にある旧古河邸を紹介しよう。
 古河邸とは1917年(大正6年)祖父の代より引き継いで古河鉱業を起こした古河寅之助が自分たちの住まいとして、また賓客接待の場として当時最高の設計家ジョサイヤ・コンドルに依頼して陸奥宗光邸跡に建てられた。
寅之助夫人や紀州藩士陸奥宗光の系図をたどるとセレブの繋がりはきりがないほど庶民とかけ離れてくる。
旧古河邸雪の上に
浮いているように見える雪見型灯籠
 古河鉱業は後に足尾銅山公害問題の第一号となりながらも軍需産業の強さで政商となり、古河財閥として巨万の富を得て、伯爵となった。
戦後はGHQにより財閥解体となり、古河鉱業は分割され、この邸宅は米軍幹部に接収され、米軍の好みに改修されていた。
 返還後、30年間、荒れ放題になっていたのを東京都は出来る限り建築当初に戻して、文化財指定を受け、都立美術館とした。(現在大谷美術館)
 この館の正面玄関側は広い芝生の様式庭園、裏庭にバラ園が美しい。外壁は赤黒い安山岩の石積み、屋根はスレート葺きでイギリスの田舎にありそうなしゃれたデザインだ。

旧古河邸バラ園
内部は1階が賓客接待用で各部屋に洋風の暖炉があり、趣のある窓のどの角度からも素晴らしい庭が見える。2階は家族の生活の場として和風が取り入れられ、ジョサイヤ・コンドルの最高の作品と言われている。
ジョサイヤ・コンドルとはイギリス生まれ、25歳の時、日本政府の招きで来日、現東大で教鞭をとり、教え子に東京駅などの辰野金吾、赤坂離宮などの東山東熊などの一流設計者を育てた。
本人も鹿鳴館・岩崎邸・この古河邸などの西洋建築を設計し、この古河邸では和洋の調和を目指した作品となった。
 余談ながら足尾銅山公害問題は明治の農民運動家であり衆院議員であった田中正造が国会や明治天皇に直訴したが当時の農政省大臣が古河家と姻戚関係にある陸奥宗光で全く取り上げられず、銅山事業は約30年余り前まで操業は続いた。田中正造以降も農民遺族による長い裁判闘争で昭和49年結審した。100年裁判と言われ、企業の責任が初めて問われた。セレブの生活も庶民の生活も先人の努力があってこその世界と感じた。

2018年4月27日    
上村 サト子    

動画もお楽しみ下さい。
ここをクリッキして下さい。
このページの先頭へ戻る