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上牧から鵜殿に春が来て


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 3月7日は幸いにも特に寒かった冬から解放されて、外歩きが楽しめる陽ざしになった。今回の企画は三箇牧公民館、案内はNPO法人ネイチャーたかつきの方々にお世話で、「緑の歩学」シリーズの最終回だったと参加して初めて知った。
 上牧は縄文の頃から人が住み、京都と摂津を結ぶ中間であり、舟で対岸の樟葉に渡れば奈良盆地へも便利な要衝の地でした。その上、都に近く、朝廷の牧場だったのが名前の由来のようです。阪急上牧駅の近くの神南備(かんなび)の杜跡公園の樹木には確実に春の芽吹きが感じられた。「かんなび」とは神の宿る所との意味で、西国へ下る時の別れの場で旅籠、茶屋、古歌の記録が残っているらしい。現在のコーナンから西国街道、上牧駅周辺に勝海舟の設計した幕府方の梶原お台場が築かれたが、どんどん政局が動き、鳥羽伏見の戦いの後、幕府は江戸に引き上げてしまったので正々堂々とした出番はなかった。さらに南へ約500m行けば本澄寺(ほんちょうじ)に到ります。途中に大きな石の常夜灯が数か所あり、それだけでも昔さぞかし存在の大きい寺であったろうと思われます。創建は室町中期の1471年日蓮宗の寺院で、寺宝の日蓮上人の曼荼羅や運慶作の仁王像などいつか目にしたいもの。境内に三好達治記念館があるのはご住職の名は三好龍孝氏、三好達治の甥にあたり、三好達治の研究、収集、講演などされているらしい。境内にはもう一つ、有名な大きなソテツが植わっている。330年前の絵図にはすでにソテツが描かれていたというから樹齢は相当なものである。
 今回の最終ポイントの鵜殿葭の原の見渡せる場所まで気持ちよい野辺の道を散策する。ここのヨシが日本伝統芸能である雅楽の篳篥(ひちりき)用のリードに最適とされ、現在も宮内庁に納められ、ユネスコ無形文化遺産に認定されている。上牧春日神社の周辺は樹林保護地区になっていて高槻古木に登録されている樹木のあれこれ説明をうけたが、多すぎて覚えきれなかった。高い樹の上にアオサギが幾羽もねぐらを作っているのが見えた。以前水害の多かったこの地域として個人宅の庭に小舟が立てかけてった。淀川の土手に上がる手前に国土交通省山崎出張所があり、河川敷の管理をしているので水害は最近起きていないので幸いである。いやいや数百年に1度の災害が起こるかもしれない。眼下には2月25日に行われた葭の原焼きの行われた河川敷が黒々と広がり、その周辺は幾台ものブルドーザーが絶え間なく働いている。10年もしない間にこの上30メートルの頭上に新名神の陸橋が走るらしい。私の人生の中で、人の力で守られた葭の原を眼下に見ながら、この上を自動車で通り過ぎる時があるのだろうか。まずは無事市バス道鵜町から乗せていただいた。

2018年3月9日    
上村 サト子    


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