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広島・宮島は近代と平安時代の良きライバル


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 12月10日、寒波の予報に冷や冷やしながら新幹線広島駅に降り立った。
私達にとって何十年ぶりだろうか、五十路を迎えた娘も修学旅行ぶりか、オーストラリアで高校に通学する孫にとっては修学旅行のチャンスがないので、広島原爆ドームと資料館など見せておくべきと四人でこの方面への旅行を選んだ。
広島は日本人だけでなく世界の人にとって忘れられない近代歴史の負の遺産だが、どれだけ世界に浸透しているだろうか。
現在外国人が沢山訪れているが、この人たちが自国で周囲の人へ同じような悲劇が二度と起こらないようにと訴えてほしいと願う。
ドームは破壊される前は広島県産業奨励館であった。
大正4年開館以来、各種の展示場に利用された中で、第一次大戦時、中国青島で捕虜になったドイツ兵が日本の徳島で預かりとなり、友好的な捕虜生活を送りながら、ユーハイム菓子を作って、ここで展示。
後にユーハイム(株)の創業になったと聞く。
広島市内でお好み焼きと牡蠣料理の食事処は事欠かない。
 宮島の厳島神社は海上に建つ平安時代の寝殿造りの建造物を通して、歴史文化を伝えている。
さらにロープウエイで弥山に登ればスピリチュアルスポットで精神的な感覚を味わえたかも知れないが、宮島名物・穴子丼の魅力に負け、味覚で満足した。
宮島も外国人にはお好みの観光地で、華やかな朱色の建物と清楚な神官の衣装にしきりにカメラを向けていた。
神社や鳥居の朱色は、東方伝来の金銅仏の輝きに対して、自らの存在を示しているとも言われ、語源は「明く(あく)」に通ずるらしい。
私達は錦帯橋で有名な岩国に足を伸ばしたが、JRで40分の所なのに、少し斜陽観光地の感がある。
日本三大橋の一つ、五連の錦帯橋と情緒漂う街並みはキンキンキラキラの観光地より落ち着きがある。
きつい角度の錦帯橋には登れまいと心配していたが、実にうまい造りになっており、その上、石造りの橋桁が強固で、共に約350年前の知恵が生きている。
桜咲く頃もう一度訪れて、ロープウエイで山上に行き、桃山風南蛮造りという岩国城から城下町を一望してみたいものだ。
例年になく寒い冬の初めだったが、残り少ない人生の目標として、出来るだけあちこちを訪れるという目標をひとつクリアした終活旅行であった。

2018年1月4日    
上村 サト子    


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