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チロル地方とドロミテ街道を巡る旅
〜チロルの村々から岩山のドロミテ・自然世界遺産編〜


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 ハイキングツアーで絶大な人気のある「女性的な美しさ」のオーストリア・チロルアルプスと「男性的な勇敢さ」のイタリア・ドロミテアルプスを歩かずに楽しむ!の誘い文句に魅かれて参加した割にロープウェイや鉄道、バスを利用しても展望台やビューポイントへの散策は相当ハードであった。比較的平均年齢の高いツアー仲間でガイドや添乗員に自由散策と言われながら、やはり先に絶景が待っているとなるとみんな1〜2時間、息切れも寒さも厭わず歩いた。このチロル地方の東西に流れるイン川に中央アルプスが聳える南側から何本も支流が流れ込んでいる。それらの川に沿って氷河をまとった高峰を足元に見ながら、ロープウェイはさらに頂上を目指して高低差2000mを上がっていく。赤い登山電車は世界最高といわれる角度を後ろの蒸気機関車に押されて、360度見渡せるパノラマ展望台へとの私達をはこんでくれる。降りる時は雄大な山々を背に透明度抜群の湖と緑豊かな森を楽しませながら蒸気機関車を切り離して軽々と降りていく。しかし残念な事もあった。雨も風も降りつける中、約30分も歩いて行ったカイザー・フランツヨーゼフ・へ―エ展望台ではガスで真っ白け、一瞬ガスが消えて氷河湖と氷河が見えたけれど、瞬きしている間にまたガスの中に消えてしまった。余りの気温低下か湿気のためかカメラに何かメッセージが出たので慌てて閉めたぐらい寒かったのも良い思い出となった。
チロル地方とはオーストリア西端部からイタリア北部にわたるアルプス山中一帯である。南ドイツとイタリアを結ぶアルプス越えの要衝であったので、神聖ローマ帝国時代より自分の領土としたい国が多かった。11世紀頃チロルの名の由来となったティロール伯が拠点とした城を造ったが、後にハプスブルク家が介入し、銀・銅・塩の鉱山から膨大な収益を上げる大切な領土となった。ドロミテ地方は、東アルプス山脈の現在イタリア北東部である。第二次世界大戦後、イタリアは漁夫の利を得たようにこの地を領土としたが、チロルの両地域にオーストリア系の住民が住んでいるので今もドイツ語の初等教育がされている。私達はまさに世界のアルピニストやハイカー、スキーヤー気分を味わい、どこもかしこもひと目見たら忘れられない数々の絶景を見た。余りに沢山過ぎて思い出が混乱しているのも事実ですが…。

2017年10月18日    
上村 サト子    


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