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チロル地方とドロミテ街道を巡る旅
〜ローマ時代から脈々と続く歴史の世界遺産・古都編〜


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まず関空から飛び立って約12時間ドイツのミュンヘンについて、さらにバスで3時間掛かって、夜半オーストリアのインスブルックのホテルに着いた。EUになって国境のパスポート検査はない。ツアーのお仲間の平均年齢は70才前後の19人で親しみを感じてほっとした。とにかく明日からの観光に期待して、体力温存とベッドに入る。
翌朝から早速インスブルックの市内見学が始まった。
ハプスブルグ家の夏の宮殿とした所で、黄金の小屋根が街を見下ろしている。今もきらきらとしているが当時は2600枚余りの金の瓦が使われたというから銀と銅の産出で膨大な富を得たのであろう。街の中心にマリア・テレジア通りがあり、周辺に世界のブランド店と由緒ある古いホテルが立ち並んでいる。しかしヨーロッパの大抵の古都は何年経ってもあまり変わりなくしっとりしている。私が約20年前ここを訪れた時とあまり変わっていない。ただ観光客のお国柄が多国籍になっているし、食事処も多種多様に増えている。1770年頃モーツアルトもこの地に泊り、演奏会も催されたといい、当時から文化に秀でた街であっただろう。最近では冬季オリンピックでジャンプ競技の舞台になったジャンプ台の記憶は新しい。設計は東京オリンピックの競技場のコンペで取り消された建築家ザハ・ハディド氏(故)である。
今回のツアーはチロル地方の自然と文化のユネスコ世界遺産を巡るという事で、文化遺産としてザルツブルグの歴史旧都市地区も楽しみの一つであった。ここはモーツアルトの生誕の地であり(後に指揮者カラヤンも生誕)、毎年の音楽祭、映画ファンにとって「サウンドオブミュージック」の舞台になった街であり、美しい山や湖に足を伸ばせるアウトドア派にとって最高の街である。本来は11世紀時代、皇帝を越える権力と富を持っていた大司教の堅固な宮殿と壮麗な教会と旧市街地にある街道筋の街並が世界遺産に選ばれた理由であろう。ザルツブルグの名称の由来は「塩の城」からきており、周囲の岩塩坑から産出される塩の取引で繁栄を続け、今も土産店に趣向を凝らした容器が並んでいる。日本では歴史ある町家や田舎家の保存に苦労しているが、ヨーロッパで見かける多くの建物が石の建造物であるためか、店舗やアパートがその古さを競って自慢しているのが羨ましいかぎりだ。また日本の良さも再発見しよう。

2017年10月17日    
上村 サト子    


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