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ベトナム旅行 2
〜ホーチミンからベトナム平和の訪れ〜


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 ホーチミン市とは旧称サイゴン、1976年改称。ベトナム最大の経済都市、人口900万人。人と車とバイクが溢れかえっている。
一車線を横にバイク三台は当たり前、二人乗り、夜になると一家族4人乗り、お互いすれすれでクラクションを鳴らして通り抜けていく。
右折左折のルールが分からない中で旅行者は信号や横断歩道でも立ち止まってしまう。歩道も後ろから、前から無灯で走ってくるので安心できない。
これもベトナムの名物と言われても旅行者にとって困りもの。
長い長い間、中国の支配、日本・フランスの植民地支配・中国やソ連の援助を受けていた北軍とアメリカ軍の直接介入による南軍のいわゆるベトナム南北戦争に入り乱れた終結を経て、今の自立を国民は満喫しているような感じである。
 この本格的な自立に導いたのが、ベトナム戦争終結の場となったのが1975年4月30日、北ベトナム軍の戦車が鉄柵を破って乗り込んできた旧大統領官邸である。
 現在では南北統一の意味を込めて、『統一会堂』と名称変更。敷地内に展示してある当時と同型の戦車は中国、ソ連からの支援、屋上には緊急脱出用のヘリコプターもある。館内は貴賓室やシアタールームや婦人の寝室・衣裳だな、地下には司令部通信室がある。ホーチミンは第二次大戦中より独立運動を指導してきたベトナム初代国家主席である。ベトナム戦争中1969年没。街中ホーチミン称賛の肖像や写真がある。市内の観光として、フランス植民地の名残りとしてサイゴンカソリック教会、サイゴン中央郵便局、市民庁舎など。庶民的で民族芸術でもある水上人形劇へは大抵の観光客が観劇する。民族楽器の演奏とナレーションと水上の人形の掛け合いは見事である。テクニックは男子家系にしか伝えられなく、後継者に悩んでいるらしい。つい微笑ましい人形とストーリーに引き込まれて楽しんだ。
 早朝にフーコック島を発って、ホーチミン市内観光にショッピングと典型的な日本人観光スタイルを満喫した。
出発は夜中の12時20分、社会主義の国でも夜間に明々とした世界のブランド商品が集まった自由競争の空港であった。
 日本に帰るなり次のプランを考えている似たもの親娘である。

2017年8月18日    
上村 サト子    


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