私が東京に行けばまさにお上りさん風情で、有頂天になっているところで、差し出がましく二ヶ所紹介します。
まずは根津美術館です。 都会の真っただ中にあるのに一歩その領域に入ると、その静寂さとセンスの良さに自分の居る場所を忘れてしまう程です。 実業家の初代根津嘉一郎の遺志によりコレクションを展示する為に昭和16年に一部私邸を提供して、開館した。 現在では国宝7件・重要文化財87件など東洋の古美術品約7400件を収蔵していると言うから溜息がでる。 特に有名なのは国宝・尾形光琳の燕子花(かきつばた)図?風で、2−3年前、特別展示があり、庭園のカキツバタも美しかったのを思い出す。 今回のテーマは「古美術の書の作品と書を書くための料紙鑑賞」であった。 平安時代の伝小野道風や伝紀貫之・・・作品・国宝・無量義経などまさに教科書に出てくる作品が展示してある。 料紙には雲母や・金銀砂・金箔などを使って贅を凝らし、装飾技法を高め、芸術作品と賞し、貴族・茶人・豪商などに請われて、高野切・本阿弥切・・・切と分割されて現在に残っている。 他室には日本はおろか東洋の古美術も展示していたがその収集センスに感嘆するばかりであった。 美術館のガラス戸の外には自由に出入りの出来る17000uを超える緑豊かな庭園に接している。 全く都会の喧騒が遮断された場所である。
次に紹介するのは武相荘です。 ダンディーという言葉で知られる白洲次郎氏(1902〜1985)とモダン近代女性の代表のような白洲正子さん(1910〜1992)が終の棲家とした、もと養蚕農家の民家である。 次郎氏は芦屋の実業家の家に生れ、若くして英国ケンブリッジに留学中、実家が昭和恐慌のあおりで倒産し、帰国して、会社経営に乗り出した。 正子さんは樺山伯爵の次女として東京に生まれ、学習院初等科卒業後、米国へ留学中、実家倒産で帰国。 幼いころから能を習い、14歳で女性初の能舞台に立つ。 19歳で白洲次郎氏と結婚。 新婚旅行に次郎氏の父親からイタリアから輸入したランチアラムダが贈られたというから、想像のつかない上流社会の人たちであったろう。 その家族が昭和18年、日本の敗戦を見越して、当時辺鄙な田舎の町田市の養蚕民家を買い取り、移り住んだ。 原則改築をせず、原型をとどめるための手入れをしたので、今も近隣の様変わりする中、タイムスリップしたような風情を残している。 武相荘とは地理的に武蔵と相模の境にあると言うことから名づけられたが、次郎氏の「無愛想」という洒落もあるらしい。 その次郎氏は戦前戦後の日本の経済・政治にもかかわる重要な役割を果たした。 特に元首相吉田茂に請われて、GHQとの折衝にあたったり、、日本国憲法の成立に関わったが、吉田茂の政界引退後、政界入りをことわり、生涯在野で会社経営と趣味を貫いた。 晩年までポルシェを乗り回したのは有名。 正子さんも能、文学、骨董、染織工芸、執筆などこの武相荘で活動した。 次郎氏の「葬式無用、戒名不用」遺言通り、戒名無しの二人の墓標が兵庫県三田市の心月院にあるという。
今回紹介した根津美術館も武相荘も共に名誉欲や所有欲に溺れず、本来の人間性を取り戻す事に努力した人達に東京の粋人の名残りを感じた。 改めてVG槻輪の「わが街紹介」で本来の関西の良さを発見しようと思う。
2017年6月18日
上村 サト子
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