会員だより目次へ前回の便り次の便り

高齢者住宅に入居して

 私は80歳を過ぎたころから「終活」ということを強く意識するようになりました。
年々衰えてくる心身を思うとき、将来これ以上、不自由になったらどうするかということを切実に考えるようになりました。
身内に頼れない(自由気ままに生きてきた私は身内に迷惑はかけたくない)という思いがありました。
そこで考えられるのは適当な施設のお世話になることしかありません。
 弟妹に私の考えを話しました。昔から私の性格や考え方を知っている弟妹は賛成してくれました。特に弟夫妻は親身になって相談に乗ってくれて、出来れば近くに来る方がいいと、高齢者住宅や老人ホームのパンフレットをたくさん集めて持ってきてくれました。
 その中から@交通の便利なところ(出かけることが好きな私はだんだん弱ってきた足をカバーすべく)A弟妹の住居に近いところBある程度の広さが欲しい。またあまり、老人、老人でないところという条件を作って探しました。
 その中から5.6か所見学に行き、その中でいいかなと思ったところ2か所、体験入居しました。
 最初に体験入居したところは駅に近くていいかと思ったのですが、今から思うと割合重症の方が多いところだったのか、食堂で挨拶しても返事が返ってこない。みんな他人のことに関心がないのです。2泊しましたが、ここでは私は耐えられないだろうなと思いました。
 やや暗い気持ちで次に体験入居したのがココファン阿倍野でした。そこでの体験が私に入居の決断をさせてくれました。施設の方が「お茶の時間ですが行って見ますか」と誘ってくださったので行って見ました。
7階の広い部屋にテーブルが並んでいて、20人くらいの人がコーヒーなどを飲みながら、楽しそうに談笑しておられました。私が挨拶するとみんな笑顔で応じてくださいました。まるで老人会の集まりのようでした。夕食のときは同じテーブルの方が、3か月前に入居されたとかで、ご自分の体験を話してくださり、私の「困ったことや、嫌なことはありませんか」と言う不仕付けな質問にも「そんなことはありません」と言われました。また事務所の方にいただいたレク行事のパンフレットが私はおおいに気に入りました。カラオケ、歌留多取り、フラワーアレンジメントなどの行事が月に10回ほどあります。およそ3日に1回です。ここにしよう。そのとき決めました。
 問題は広さです。およそ25平米が決まりだとかで、1人で3DKのマンションで暮らしていた私にはどうしたらいいのか、わからない狭さなのです。最初の条件のある程度の広さが欲しいというのはたくさんのパンフレットを見て判ったのですが、私の収入ではとても採算が合いません。涙を呑んで25平米に入るように家財を処分することにしました。
 その結果は筆舌に尽くせない大騒動で「VG槻輪」の皆様にも多大のご助力をいただきました。
 1月19日に「VG槻輪」のみなさんがココファン阿倍野を見学に来てくださいました。
苦労して纏めて頂いたあの荷物がどうなっているのか、心配してくださった方にも今、やっと落ち着いたところをみていただけたかなと思っています。
 さてここでの生活ですが、朝は6時、昼は12時、夕食は6時と規則正しい生活で1人のときも、食事は割合時間どおりに食べていましたが、決められると時間に縛られるような気がします。
 今は昼食は自炊でパンと野菜、青汁、バナナなどで作っています。なんといっても台所が狭く、料理など出来ないのです。
 楽しみにしていたレク行事にはすべて参加して大いに入居者の方と交流しています。座ったままのペットボトルのボウリング、パターゴルフ。頭の体操のクイズ、月1回のお菓子造りなど、参加者はいつも20人くらいです。行事のある度に写真を撮ってみなさんに差し上げています。写真なんか撮ってもらったことがないという人もいて、大変喜ばれています。ただ私はひどい難聴なので、どうしても人との話しがしにくく、それが第一の悩みです。でも「申し訳ありませんが私は耳が聞こえにくいのですみませんが」と言いながら出来るだけ人と話すようにしています。
たくさん居るヘルパーさんはみんな若く、明るく、よく訓練されているなあと思うことが多いです。入居者の方も謙虚な方が多く、エレベーターの乗り降りなど譲り合ってたいへんです。
 入居してまる半年、幸いなことに、91歳にしてはまあ健康と思われ、ほとんどのことは自分で出来るので、出来るだけこの状態を続けられたらいいと思っています。身を切る思いで処分した家財道具や衣類ですが今はすっきりしてよかったと思っています。私の終活も完了したような気持ちです。
狭いところもこれはこれで、案外不自由なく暮らせるものだと判りました。
今のところ不自由はなく、快適に暮らしています。多くの方々に感謝しながら。

2017-01-22      記 牧戸 富美子