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高槻北部からぐっと近い亀岡へ


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 11月末、紅葉狩りには最高のシーズンを過ぎているのを承知の上で、姥桜ならぬ姥紅葉の楽しい仲間が亀岡方面に出かけた。道中立ち寄った上の口の慶住院や枚方・亀岡線道路脇から見える落葉樹の紅葉はモミジに負けず美しい。1960年代までこの道を高槻駅発、亀岡行の市バスが走っていたのはご存知でしょうか?現在の高槻市バスの終点は杉生(すぎお)である。樫田トンネルを過ぎてもまだ高槻市内だろうかと思われるが、桃源郷の感もある。この杉生は田能、中畑、二料などと合わせて樫田村となり、京都府桑田郡に属していたが、地勢的・経済的に結び付きに強い高槻市との合併を要望する8割の住民賛同で、1958年に高槻市に編入した。一般の住民の本音は水害発生の多いこの地区への京都府の冷遇対応と分水界の不一致が遠因と高槻市の歴史に書かれている。でもこの広さがあったからこそ中核市に格上げされたが、私には市政の違いは判らない。
 まずは亀岡市街地に入る前にモミジの名所の一つ、鍬山(くわやま)神社がある。大国主命と応神天皇の二柱を祀る和銅2年(709)創建、1814年再建の古社で荘厳な雰囲気を味わえた。駐車場には「旱蓮木(かんれんぼく)」という珍しい2本の大木が見られる。大正時代に日本に渡来したらしく、先代の宮司が植えられたとか。
 次に向かったのは穴太寺(あなおおじ・あのうじ)。文武天皇の勅により705年に建立された西国三十三所の第21番札所。「安寿と厨子王」の厨子王の匿われた寺の一つとも言われるし、本堂の奥には病気平癒のご利益があるとされる釈迦如来大涅槃像の"なで仏"さんがおられる事でも知られているお寺である。2m余りの木彫りのお釈迦様が布団をきて、寝ておられる。布団をはずして、体の治したいところを撫でてくださいと係の人に言われたが、布団に手を掛けるのに躊躇われた。でもお姿を見るとピカピカでいかに沢山の人がご利益を願ったか察しられた。美しい庭もあり、奥の間に、ある天皇から永年仕えた女官が賜った天皇の身の回りの物一式がガラス棚に飾ってあった。なんで衣類から食器等々?と推測するのは"ゲスの極み"かも知れません。
 食事処は京都の文化か、湯の花温泉の流れか、兵庫県の産物が集まるためか、ネットやパンフレットに適当な所が紹介されている。私たちの入ったお店も薄味和食で、三段灯籠弁当の名の、ほどほどの額で堪能出来た。というのはこのお店の前の稗田野(ひえたの)神社に、平安時代に朝廷から賜った五基の神灯籠があり、毎年8月に国の重要無形民俗文化財に指定された大きな祭りが繰り出されることからこのお品書き名である。この神社もまた創建和銅2年というから、先に行った神社と同じ年で、日本の歴史はこの辺りから記録に残っているのではないかと思う。境内の樫の木のこぶを撫でて癌封じ、コンクリートの茅(ち)の輪をくぐって健康を念じ、本殿の前では二礼二拍手一礼で家内安全を祈願する。何歳まで長生きできることやら・・・。
 工場もなく繁華街も通らず、盆地の霧に囲まれた自然の風景を満喫しながら、歴史スポットやご利益スポットそれにグルメを味わえた高槻と亀岡の1日でした。

2016年11月25日    
上村 サト子    


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