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奥琵琶湖 歴史の里
菅浦



四足門
 菅浦は集落の前に琵琶湖があり、後には山が迫っている。田んぼや畑などの耕地が村の周囲にはなかった。
村人は湖上を船で、あるいは山を越えて、大浦の集落に近い日指(ひさし)・諸河(もろかわ)という、 16ヘクタール程の田んぼを耕作に行っていた。だから、日指・諸河は菅浦にとっては、たいへん大切な耕地であったので、約200年にわたって隣の大浦と、どちらのものか争ったのは有名な話である。
今、菅浦に行くと「四足門」と呼ばれる二つの門が残っているが、これらは村の内と外を分ける役目をはたしていた。中世の村人は、山の中には悪い病気や、人を不幸にする神々が住んでいると信じていた。 それらが村の中に入ってくることをたいへん恐れ、この門で防ごうとしていたと考えられる。
また、集落の山際には10を超えるお寺が並んでいたが、これらも山から悪いものが入ってくることを防ぐ役割を果たしたと見られる。中世の人たちは、目に見えない魔物や神仏の力を、今より信じていた。

菅浦郷土資料館
須賀神社の参道を右に折れた所に立つ。
桃山時代の彩色能面や、かつて境界をめぐる争いが続いた大浦庄との境を示す菅浦与大浦下庄堺絵図など貴重な資料が展示されている。
館には、菅浦のシルバーの方がスタッフとして働き管内と菅浦の歴史の説明を丁寧にしてくれました。
2016年11月14日    
記: 大岡 成一   

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