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 "ひめじ"城は権威の
"しめし"城



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 二年前、平成の大修理後、公開されたとき、白過ぎ城と騒がれた姫路城に行ってきました。
でも今ではしっとりとした落ち着きを見せ、壁塗りしなかった二の丸御殿と一体化し、白鳥の湖に登場する白鳥が昼間姿を現したような何物にも代えがたい程美しい姿をしていました。
シニアボランティアの熱心な説明で化粧櫓へ回る時間が無くなりましたが、本丸を堪能させてもらいました。城の隣に藩主の下屋敷の発掘調査をもとに平成4年に造営された池泉回遊式の美しい花巡りを楽しめる日本庭園があります。
 姫路城は地理的に徳川の権威を西国に示す為の重要な城"しめし城"でした。
その為、徳川幕府より支援があり、予算制限なしの至れり尽くせりの建築だったそうです。
どこかの国か地方自治体のようです。
姫路城の歴史の中に黒田官兵衛・羽柴秀吉・池田輝政・本多親子・千姫などが登場しました。
幕末の城主酒井氏は新政府に抵抗したため、開城せざるを得なくなりました。その後廃城は免れたものの陸軍の兵舎や訓練場となり荒れ放題になった処を保存運動が拡がり、明治43年から繰り返しの修理で今の姫路城が蘇りました。幸いなことに戦国時代から400年、太平洋戦争の時さえ1度も戦火に遭うことはありませんでした。これからも千年、二千年世界遺産として持ちこたえられるよう願います。
 城門を出て、タクシーで5分の所にもと神戸大学姫路分校(現在兵庫県立大学環境学部)があります。
最近NHK朝ドラ「あさが来た」の主人公が奔走した日本女子大学の設立、入学式の場面が放映されたのは今年の2月でした。その撮影に使われたのが当時のまま保存されているこの大学の講堂です。
鍵もカーテンも閉まっていましたが、守衛さんに主人が昭和32年卒業で、この講堂も使っていたと言うと、見せてくださいました。
学生寮はさすが取り壊されていました。旧姫高時代、この学生寮で生活した高校の恩師が授業そっちのけで自分のバンカラ学生生活の話に、私達生徒もこれ幸いと興じていたのは半世紀以上前のこと、改めて時の過ぎる早さに感じ入りました。

2016年6月23日    
上村 サト子    

動画もお楽しみ下さい。ここをクリッキして下さい。

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