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【京都 葵祭】
平成28年度 京都 葵祭(加茂祭)
【その3/3】斎王代


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斎王:加茂斎院の制
宮中では未婚の皇女を神の御杖代(みつえしろ)として差し遣わせる例があった。
この皇女を斎王と称し祭事に御奉仕せしめられた。伊勢神宮についで加茂の大神にも奉られた。
伊勢神宮についでは「斎宮」、加茂神宮についたは「斎院」と称せられた。
「さいいん」または「いつきのみや」ともいい、天皇が譲位・崩御された際退下するならわしとされ、 斎王が卜定されると参議以上の殿上人を勅使として差し遣わされ、加茂両社に事の由を奉告せられる。
次に御所内の一所を卜して初斎院といわれる居所を設けられ3年間日々禊斎し毎月朔日には加茂の大神 を遥拝する生活を送られた。3年を経て4月上旬吉日に野々宮(愛宕郡紫野に設けられたので「紫野院」) の院に入られ、賀茂川にて御禊を行ったのち初めて祭事の奉仕が許された。弘仁元年(810)から建暦 2年(1212)の凡そ400年間で、35代に及び仕えられた。
鎌倉時代初期の土御門天皇の御代に絶えて再びおかれることはなくなった。
昭和31年(1956)関係者の後援を受け、斎王に代わる「斎王代」を中心とする女人列が往時のごとく 復興された。
それに伴い、往時加茂祭の当日に先立つ午または未の日に野々宮の院より賀茂川の河原に赴かれて行われた 「御禊(ぎょけい)」も復興することとなった。この儀は現在5月上旬加茂両社が毎年交互に斎王代以下 女人列御禊の儀として斎行する例で、行われることになった。

2016/5/15      記 成 本 忠 晴