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“ 西行も樹木葬を希望したのかな ”




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 「願わくば花の下にて春死なむその如月の望月の頃」とは西行の歌。
実際に西行はどんな死に方をしたのだろう。昨年5月5日に姪達が自分達の両親の樹木葬を京都建仁寺の奥まった塔頭の片隅の高台でした。
今年も同じ日、姪達とその場所を訪れた際、西行の事が頭に浮かんだ。
 帰って調べてみると、南河内の弘川寺で、この歌を詠んだ時と同じ頃の二月の満月の日に没したとある。
しかし歌を詠んだのが2月で、望月(満月)から推測して、桜ではなく梅ではないかと言う説があるとか。今は1500本の桜に囲まれているらしい。
とにかく西行の願いは桜の樹木葬としたのは後世の人であって、最初に現代の商法に乗せたのは1999年東北のお寺らしい。西行が東北を旅したので勿論この寺は桜の樹木葬であろう。
先に述べた建仁寺のそれは大きな銀杏の樹に守られて、今年も静寂そのものであった。特定の宗教を必然と考えない人達の安らぎの場である。
今回訪れてみると、現代の世相を反映しているのか、大きな墓標とさらに追加された墓碑にも彫られた新しい名前がこの1年で随分増えていた。埋葬された人は黒字、予約された人は赤字で、共に生前の名前である。
私も予約したいが、ここは33年が過ぎればナンバーの付いた埋葬地の土を寺内の共同墓地に移されるので、もう少し余命の様子を見ることにした。
嫌われっ子世に憚ることになれば、33年の残り少なくなってしまう。まずはあの大きな銀杏の樹の下に眠る秋の様子を見に行こう。

2016年5月25日    
上村 サト子    


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