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熊野古道中辺路大雲取越え(その一)
"いよいよ熊野詣での〆です"



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 熊野詣での道が古来より多々あったが、特に皇族や公家は京都城南宮を出発し、天満から舟に乗ったり、籠に乗ったりして、和歌山の田辺あたりから、九十九と言われる程多くの王子社で禊や宿泊して熊野三山にやってくることが多かった。もっとも多かったのは平安時代で、蟻の詣でと呼ばれるくらいで、東北からも詣でたらしい。現代はまさに便利。バスで片道4時間。おかげで私も去年の3月よりほぼひと月に1回、滝尻王子から先へ先へと歩き進め丸1年、今回で最後の9回目の1泊2日歩きである。那智大社の背景そびえる那智・妙法山に登り、大雲を手で取るからと名付けられるという程高いらしい。さらに進めば吉野に通じる修験者の道である。今日の語り部も青岸渡寺の副住職と吉野への祈りの道に同行したと話された。
 今回のスタートは紀伊半島の南端を少し東に回った所の三輪崎市の高野坂から上り始める。眼下に熊野灘が広がり、王子が浜の潮騒の音が聞こえてくる。前夜1時間20mmの豪雨だったとか、その為霞んでいて残念だったが豪雨に妨げられる事を思えば、滑り易い石畳も苦にならない。約30分歩いて、山の中の脇道に入ると樹々に囲まれた鳥居が現れる。奥に二つの祠があり、その裏に鯨が縦に泳ぐ姿の彫り込があり、この海で捕れる鯨肉・鯨油(あんどん用)で儲けた漁師とも商人だったとも言われる人の墓だったらしい。イラストの最初とも。気持ち良い山歩きを楽しんだ後、再びバスで三輪崎市内を抜け、神倉神社につく。
 この神社の火祭りをテレビで見たことがある。毎年2月6日夕刻、全国から集まった数千人の男性の上り子が熊野速玉大社で火元をもらった松明を手に、この神倉山の538段の石段を登り、玉垣内で解錠を待ち、この石段を一気に駆け降りるという荘厳な火祭りのある神社だ。明日は最後の最後の最長コースだから、今日はここだけと言われ登り始めると、なんとその一段の厳しさは並ではない。熊野三山の祖と言われる神がここに降臨し、修験者の行場になったと納得出来る。源頼朝寄進したとされる急峻な石段は杖なしには登れない。やっとこさで登った頂上に社とゴトビキ岩と呼ばれる巨岩が祀られている。ヒキガエルの意で形が似ている。その巨石の上部に洞穴があり、そこにパワースポットがあるというので、ゴトビキ岩の曲面をこわごわ登り、タッチして終活のパワーをいただいてくる。夜、多種の温泉で筋肉痛を取り、十分すぎる食事で明日のエネルギーが摂れた。

2016年4月20日    
上村 サト子    

動画もお楽しみ下さい。ここをクリッキして下さい。

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