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熊野古道中辺路小雲越え(その一)
「現世への未練果てなし」



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  和歌山県田辺市から山中に入り、熊野本宮目指して8回目となった。参加し始めた3月は集合場所の梅田は新芽が出始めた頃で、今回の12月8日なら通常寒くて出発時間が1分でも待ち遠しいのに、今年は全然寒いと感じない。並木の紅葉した葉もしっかり残っている。むしろ緑の葉が多い。紀伊半島の南端までの高速道路わきの景色はましておやである。  今回泊りがけの歩きツアーで、まず勝浦の海岸近くの熊野九十九王子の一つ、浜の宮王子についた。この道角にある振り分け石が伊勢路(伊勢からの熊野灘沿い)・中辺路(なかへじ、田辺から山中にはいる)」・大辺路(おおへじ、紀伊半島に沿った山中か船旅)の分岐点を示している。昔の参詣者はこの海で潮垢離(しおごり)をして身を清め、熊野三山にむかった。。この浜の宮神社の森続きに補陀洛山寺がある。「ふだらく」はサンスクリット語の「ポタラカ」の音訳で、南方彼方にある観音菩薩の住まう浄土の事をいい、平安時代から江戸時代までこの寺の住職がある年齢になり、修行も十分積まれたら、極楽浄土を求めて、わずかの油と食料を積んで、海に出て行った。井上靖の小説によると、住職金光坊は渡海上人となったが、現世に未練があり、途中船底を割って、小島に流れついた。それでも信徒はさらに船で海に送り出したというから信仰も狂信的になっていったのだろうか。幸い金光坊を最後にして生き身で渡海のしきたりはなくなったらしい。当時の船もが示してある。船というより小舟である。私は死後の極楽浄土を願うより現世で歩ける達成感を楽しみたい。近くに2011年女子サッカー"なでしこ"のFIFA優勝を記念して、モニュメントと周りに選手の足形が取り囲んでいた。この浜の宮出身の中村覚之助が東京高等師範学校在学中、サッカー指導書を翻訳・対外試合を主導するなどサッカーの普及に努めたことが浜の宮〜熊野三山の守りのヤタガラス〜サッカーのシンボルマークの発想といわれている。いよいよ大門坂の鳥居をくぐり、まさに最後の王子社・多富気王子を経て、熊野那智大社と青岸渡寺へ向かった。さらに滝壺近くまで行ける飛瀧(ひろう)神社をはいり、日本1の高さを誇る那智の滝の冷気と霊気をいただき、明日へのファイトが沸いてきた。

2016年1月20日    
上村 サト子    

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