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昔の海外旅行

飛行機にはタラップで搭乗
 私が始めて海外旅行に行ったのは、昭和56年(1982年)7月のことです。
バンコク、シンガポール、4泊5日の旅でした。
前にも書いたことがありますが、一般の旅行社ではなく、私たちのために計画された個人と言ってもいい小さな旅行社の旅行でした。
当時、一般の旅行社でも、行く先のパターンはそんなに多くありませんでした。その後、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドへも同じところに頼みました。大変よかったからです。しかし費用が他の大きい旅行社の倍以上掛かりました。
 だんだんバブル景気で海外旅行も一般的となり、行きたいところが増えてくると、同じ費用でもっと多くのところへ行きたくなり、その後は前と違う旅行に戸惑いながら、普通の旅行に慣れて行きましたが。  さて、最初の旅行ですが、添乗員兼社長のOさんから言われたのは、ディナーにはドレスか、スーツ、かかとの高い靴を用意するようにということでした。ホテルは一流のところでしたから、行って見てその意味が判りました。景色のいいレストランでは必ず窓際の席が用意されていましたし、私たちがレストランに入っていくと、ピアノで「さくら、さくら」が演奏されたりしました。また食後、そのピアノの演奏で、ダンスなどをしました。  Oさんは、いつもマナーということをよく言われました。今考えると、現在、多くの近隣の国の人たちが爆買いなどといわれ、よくマナーの悪さが指摘されるのと同じようなことが、日本人にもあり、それを懸念されての言葉だったと思います。
暁寺院(ワット・アルン)にて
友達が写真を写す
 服装の件ではその後一般の旅行社から行くようになっても、前のことが頭から離れず、つい、ディナーで着る物が多くなって困りました。
今のように、Tシャツ、ジーパンで身軽に旅行に行く方をうらやましく思います。
 当時、海外旅行は珍しかったので、行くということが判ると友達から「餞別」をいただきました。何がしかのお金で、貰った方はそれに見合うお土産を買ってくるのです。また都合で旅行に行けない友人が空港まで見送りに来てくれたりしました。
また通貨もドルだけでタイ、シンガポールは買い物もドルで出来ました。オーストラリアなどでは、空港で両替しました。最初にヨーロッパへ行ったときは、南回りでイタリアのミラノまで途中2〜3回給油のため着陸しました。
 時間待ちの間にトイレに行くと、インド人の女の人が入り口に立っていて、その人にチップを渡します。するとザラ紙のようなペーパーをくれるのです。薄暗くて気持ちが悪かったのを覚えています。
 何時間かかったのかよく覚えていませんが、運動出来ないのに、4時間おきくらいに機内食が出てうんざりしました。でも機内食は予想に反してとても美味しく、楽しみだったのを覚えています。乗ったのも外国の航空会社のものが多く当然乗務員は外国人で「トマトジュース」でも「トメイトジュース」と発音しないと通じなかったり、ひやひやしました。スイスではまさに爆買できれいなゼリーのお菓子を餞別のお礼にみんなで店のもの根こそぎ買ったこともありました。今思うと恥ずかしい限りです。ミラノからスイスへ向かう列車の中では、治安があまりよくないので個室に人を入れないように言われていたので、フランス語かドイツ語かわかりませんが、検札に来た車掌さんを「ノーノー」と、追い出してしまったり。珍道中でした。
        2015年9月13日
記 牧戸富美子   

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