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ロシアの旅
死ぬまでに1度は行きたい世界三大美術館と言うけれど
その3/4



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モスクワ、クレムリンとは「城塞」の意
 6日目の朝、飛行機で約1時間、モスクワに移動した。私にとって世界で1番解らない国と表現していいのか、それとも怖い国と言っていいのか、何しろT)章に書いたごとく、30年前の印象が悪かったので、恐る恐る入管手続きに向った処、1瞬見ただけで、役人が明るく優しくなったのでほっとした。市内は建築物が多くなり、人々も忙しそうに歩いている。
ロマノフ王朝を倒した革命政府はレーニンを組織の長として、立ちあがった後スターリン、フルシチョフ、ブレジネフ、ゴルバチョフの時代にペレストロイカが起こりソ連崩壊となり、エリツィン、プーチンに移って行ったのはこの30年余りの事で、記憶にも新しいです。
 モスクワの中心にクレムリンがある。冷戦時代には社会主義国のシンボルのような存在が、クレムリンとは「城塞」という意味だと知った。15世紀に現在の様な赤レンガ造りになり、今もロシアの政治の中枢ではあり、城壁に囲まれて、歴史と文化の粋が集まった所だ。城壁には20の望楼があり、それぞれが立派に聳えている。大クレムリン宮殿、ウスペンスキー大聖堂ほか夫々の皇帝好みの聖堂、鐘の皇帝、大砲の皇帝、国立歴史博物館、武器庫やダイヤモンド庫などが2,235mの城壁の中にあり、その前に数多くの歴史的事件が起きた"赤の広場"がある。「赤い」とはロシア語で楽しいとか幸せとの意味があるそうで、私は共産党のシンボルカラーと思っていた。レーニン廟もどっしりした大きな建物です。反対側に国立のグム百貨店があり、これは地元の露店商人の為に建てられたものだが、現在では世界のブランド店が入ってる。日本のユニクロは入っていませんとガイドは説明。
 中国人の多いこと、それも家族で旅行している様子には驚くばかり。横にある聖ワシリー寺院はイヴァン雷帝がモンゴル戦勝記念として建てたもの、まったくおとぎの国に出てくるような建物だ。
2015年7月28日    
上村 サト子    

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